関悦史
おでん煮る空間にあるまろきもの 益岡茱萸
一読、おでんの具材のどれかの話かと思ってやり過ごし、「空間」がひっかかって立ち止まることになる。「空間」となると鍋の中の話には見えなくなってくるのだ。
吊り下がっている照明器具の類かもしれないのだが、あえてここまで抽象化した言い方をされると、その場の雰囲気や円満な人間関係をも含意しているように感じられる。この「空間」にはおでんを煮たり食べたりしている人間も当然含まれるのだ。
しかし、にも関わらずこれは何か実体をもった具体的な物件であるらしい。20世紀以降の絵画では半抽象の表現はよくあるが、旧来の情緒を引き剥がしたモダンな美を現出させることが狙いでもなさそうである。ものは卑近で親しみあふれる「おでん」なのだ。
この何とも得体の知れない「まろきもの」は、おでんを煮る空間の温和さそのものが実体化しているかのようである。そしてそんな変容が成り立つるのは、省略の利いた言葉のなかでだけなのである。
すぐそこにありながら誰も気がついていないものを引き出すというのは俳句のいわば常道だが、「おでん」がまとう雰囲気をそのまま明快で手応えのある抽象空間へ開いてしまうというのは少々珍しく、清新な句柄といっていいと思う。
句集『汽水』(2015.11 ふらんす堂)所収。
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