2015年12月15日火曜日

〔ためしがき〕 全集 福田若之

〔ためしがき〕
全集

福田若之

田中裕明の「全集」の句と言えば、まず想起されるのは『花間一壺』の次の句であろう――

悉く全集にあり衣被

一方で、同じ句集の次の句については語られることが少ない――

全集の端本なれば遅き日に

前者は、五七五のきれいな定型であるのに対し、後者は、中六の字足らずである;前者は言い足りている――「悉く全集にあり」は文として完結しているし、「衣被」も体言止めでしっかりと言い足りている――のに対し、後者は言い足りていない感じがする――述語がなく、文は完結していない。

ようするに、前者は全集というモチーフの充足を、後者はその欠落を言語的にも表現している。

「衣被」の句に満月を見ることは許されるだろう。芋名月である。欠けたところのない月のイメージが、全集の充足と結びつく。

「遅き日」の句は煮え切らない太陽を思わせる。春のもやがかった景色と、一日が終わらない満ち足りなさが全集の欠落と結びつく。

「衣被」の句は人を安心させるが、「遅き日に」の句は人をいらだたせる。好まれるのはおそらく前者だろう。けれど、後者の句の生々しさと向き合うことによって見えてくることもあるだろう。

端的に言えば、後者の欠落は現実に向けて開かれている。前者の句は「全集」の虚飾――それが全てだという虚飾――にすっかり魅了されている。けれど、全集の外で、いったいどれだけの言葉が忘れられるがままになることか。

2015/11/21

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