樋口由紀子
蛸踊り顔から先にくたびれる
田中空壺 (たなか・くうこ) 1900~1982
八本を手足四本で見せるのだから手足の方が疲れると思うけれど顔が先にくたびれるという。顔は普段はそんなに動かさないからなのだろう。それは経験してわかることなのか、踊る人の顔も見てそう思ったのだろうか。川柳の見つけである。蛸踊りそのものを的確に捉えている。そして、なにより「くたびれる」に愛嬌があり、愛情がある。
それにしても蛸踊りを見る機会はほとんどなくなった。特別の思い出があるわけでもない蛸踊りだが、掲句を読んで妙になつかしくなった。実際に見たのはほんの数回だろうか。職場の宴会芸や祝い事の席でたまにあった。そのときはみんなお腹を抱えて笑った。
ほのぼのとした人間味が出ていて、川柳の持ち味を生かしている。時代的には川柳は一昔前の方が合っていたのかもしれない。〈太郎冠者まともに向くと何か言ひ〉〈両国のその夜の月が少し邪魔〉
「両国のその夜の月が少し邪魔」
返信削除俳句だと、このような大胆なことはなかなか言えないのかもしれない。
両国という町の持つ風情は、実際の所はよく分からないけれど(大相撲
との関わりくらいか)、「その夜」との限定や、「少し」とのいいさした
表現が、町の持つ微妙な味わいをおしゃれに表現していると思って
大変こころひかれた。天空から地上へとものの味わいをひきもどしたような
ところも思われて、それも川柳の川柳らしさのひとつなのかも、とも思われた。主掲句ではない作についての感想になってしまった。
失礼しました。