〔ネット拾読〕
昼食を抜いてもその日は死なないというアフリカの諺
西原天気
もちろんウソです。そんな諺、ありません。
さて。
◆佐藤文香 2016.7.4
http://satoayakatoboku.blogspot.jp/2016/07/201674.html
最後の数行で泣いた。
◆佐藤りえ 人外句境コンテンツまとめ
http://burai-ha.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html
こういう一覧は、ほんと便利。リンク集=インターネット的便利の極み。
で、ですが、あまりにネタがないので、大昔のを掘り起こします。ツイッターをまとめるトゥギャッター。2010年7月。6年前です。
◆五七五定型=パンツ騒動
http://togetter.com/li/35781
〔定型=パンツ〕ならば、いわゆる自由律は、パンツさえかなぐり捨てる、といった対照が、話の流れの中にあって、その前提には、「表現」すること自体が恥ずかしい、ましてや、そこに「自己」がくっついて自己表現なんてことになったら恥ずかしくて死ぬ、といった心性があるわけですが、定型うんぬんで羞恥が緩和されるかどうかは、〔文化〕によります。
一般に、ネイキッドネス(nakedness)、すなわちおまわりさんが飛んでくるたぐいの裸と、ヌーディティ(nudity)、すなわち芸術写真の被写体的な裸、その線引き、言い換えれば、何をネイキッドネス=禁忌とするかは、文化によって異なる。例えば(あくまで机上の例)、ある文化では、足首の露出は、どの部位を露出するよりも恥ずべきこととされるなど。
俳句世間は、ひとつの文化ではありません。いわゆる有季定型の中にも、いくつもの文化がある。したがって、パンツでどこを隠すのかは一律ではありません。
ところで、このツイッターのやりとり、混沌のおもしろさがあります。ツイッターとは「囀り」という意味。ひとこと(ひと鳴き)は、論ではなく、論の断片。断片が集まっても、論になることはないけれど、そこに論の萠芽があるかもしれません。
酒席での俳句話に似ていなくてもないが、それよりあっさり、かつ誰が入ってくるかわからない点、開放的かもしれません。近頃、ツイッター上でのこうしたやりとりの展開、ほとんど見かけない気がします。いや、それは、私が井戸端に足を向けなくなったせいかもしれない。
今回はあっさりこのへんで。
またいつかお会いしましょう。
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