相子智恵
机上に蛾白し小さし生きてなし 池田澄子
句集『思ってます』(2016.07 ふらんす堂)より
机上の蛾がクローズアップされていく。白くて小さくて…と生き物を描写していって、最後にそれは死んでいる、ということがわかる。しかも死んでいる、とは書かれていなくて〈生きてなし〉なのである。
「生きていて当然」と思える中七までが、下五でざっと裏返る。生きていそうな蛾が、しかし生きていないかった。死んでいると書かれるよりも〈生きてなし〉と書かれる方が喪失感が強いような気がする。
この句集には〈死んでいて月下や居なくなれぬ蛇〉という句もあるのだが、ここでは死んだまま穴に入ることもできず、どこにも居なくなれない蛇が出てくる。死んだら居なくなる、という常識的な概念は覆される。
「生きていない」と「死んでいる」の間には確かに違いがあるが、それぞれの句の中でその言葉の働きを見れば、これらの句には通底するものがあるように思う。死ぬことは居なくなれることではなく、逆に、生きているように見えて死んでいたりする。
その裏側には、私が生きていることと、彼らが生きていないこと(死んでいること)とはいつでも入れ替わる可能性があったのに、でも私は生きて彼らを見て俳句を書いていて、彼らは死んで見られる側にいるという不条理がある気がする。それを自分に引きつけるというか、引き受けて書いてしまうところに、作者の作家性を見る。
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