高屋窓秋『石の門』の一句についてのメモ
福田若之
『高屋窓秋俳句集成』(沖積舎、2002年)に収められた句集『石の門』には、次の句が載っている――
園の冬鳥をつかんで死の如く 高屋窓秋
そして、次の句形も併載されている。
園の冬鳥をつかんで死のごとく
どちらも110頁。
ところが、『高屋窓秋全句集』(ぬ書房、1976年)に収められた句集『石の門』には、次の句形がみられる――
孤児の冬鳥をつかんで死の如く
こちらは61頁。
『俳句集成』では、単著として出版された『石の門』(酩酊社、1953年)をそのまま底本としているが、『全句集』では、それをもとに再編集が施されていることが窓秋自身による「あとがき」にも明記されている(読み比べると句の並びが全然ちがうのが分かる)。
『俳句集成』のほうでも、この句のおさめられた連作には「孤児」の句が並んでいる。とはいえ、この連作が「園にて」と題されている以上、「園」が孤児の名前だったりすることは、残念ながら、ないだろう。この連作のうちで「園」という場所がはっきり書かれているのはこの一句だけ。窓秋は、この句で「園」と書いておかないと、「園にて」というタイトルの意味がわからなくなると考えたのかもしれない。
『全句集』のほうでは、この句は「荒地にて」という連作におさめられている。この連作では、「荒地」という言葉が何度も出て来るから、この句で「園」と書く必要はない。むしろ、「荒地にて」と書かれているのに「園」というのは不自然な気さえする。「園」は、冬でも手入れされていて、枯れてはいても荒れてはいないイメージがある。窓秋は、連作の構成を考えて句を書き改めたのだと推測される。
結果的に、《孤児の冬》の句は、「孤児」が「鳥をつかんで」いると読めるようになっている。僕はこちらのほうが好きだ。
2016/8/2
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