「どう抒情するのか」という問いにどう答えるか
福田若之
問い得るのは「どう抒情するのか」でしかないとしても、この問いに対して一般解を用意するならば、結局は、「そもそも抒情って何だ?」という問いに答えてしまうのと同じことになってしまうだろう。
「どう抒情するのか」に対する答えは、つねにそのつど、抒情の実践によって示すほかないように思う。「どう抒情するのか」に対する答えとなりうるのは、つねにそのつど、次の一句でしかない。
(もちろん、俳句は必ずしも「どう抒情するのか」という問いに答えなければならないものではないのだろう。その意味では、俳句は必ずしも抒情詩ではないのだろう。だが――)。
2017/1/26
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