〔ためしがき〕
波の言葉6
福田若之
遠いむかしに自分なりにけりを付けたはずのことがらが、いまだに僕をえぐり、むしばみつづけているこの感じ。僕は痛々しく生き、痛々しく死ぬだろう。
遠いむかしに自分なりにけりを付けたはずのことがらが、いまだに僕をえぐり、むしばみつづけているこの感じ。僕は痛々しく生き、痛々しく死ぬだろう。
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あるひとがもし本当に自らの作品の「不滅」だけをひたすらに志すなら、そのひとは、たとえば俳句を書くことなどやめて、いますぐ電波の抑揚によって自らを表現し、宇宙へ向けてそれを発信するほうがよいと僕は思う。たかだか地球が滅んだくらいで失われる作品の「不滅」なんて、そんなものは欺瞞でしかない。
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書かれたものが消え去るということ、それを諦念によって受け入れるだけなら、書くことはニヒリスティックでしかない。消え去るけれども書く、という逆接の虚しさ。そうではなく、書かれたものが消え去るということについての絶対的な肯定から出発して書くこと。すなわち、消え去るからこそ、消え去るためにこそ書く、ということ。真に書くとはそういうことだと僕は信じる。
2017/3/20
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