樋口由紀子
鳥籠から逃してあげるわたしの手
西田雅子(にしだ・まさこ)
鳥籠にいるのは鳥である。だから逃してあげるのは鳥のはずである。しかし、「わたしの手」。「鳥籠」は生活全般の比喩で、そこから「わたしの手」、私の一部分を、自由にさせてあげるという意味だろうか。
狭い鳥籠の中を不自由に飛び回る鳥を見ていたら、鳥を鳥籠から逃がしてあげたくなった。手をそっと鳥籠に入れて、鳥を捕まえて、鳥を外に出す。そのときにわたしの手に目がとまった。わたしの手もいろいろと我慢している。鳥と一緒にここではないどこかへ逃がしてあげようと思ったのではないだろうか。そういえば、鳥と手、なんとなくかたちや動きが似ている。
〈バスを待つ秋は遅れているらしく〉〈夕焼けにいちばん近い町に住む〉〈運ばれて十一月の岸に着く〉〈ひとりずつ鏡の中をゆくゲーム〉『ペルソナの塔』(あざみエージェント 2014年刊)所収。
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