#古狂歌は気の薬 Robin_D_Gill
#名歌にしたい無名歌 季節篇002
#古に比べて朝飯前の初日出
神の代の骨折り見えて天の戸を易くも明ける日の初め哉
Ye Gods of old had to work so hard, but now ‘tis easily done –
Heaven’s Door cracks & out she comes, our New Year’s Sun!
かの岩戸を開く為のストリップ踊りや手力雄のご苦労も無用で、今朝の春の長閑き朝の睦月の初日出がやすやすと「安産」する祝い。坂月米人が天明狂歌本にも出るから名前くらいはウェブに出るが、江戸狂歌本(4-1)の1793の書物から狩りた上の首は、拙著以外に出てこない。「神代の骨折」という綴りの検索でやっと当たり一本は、太田南畝がその頃に出版した也有の名著『鶉衣』の「餅辞」の「先づは一年の初空、松も竹もあらたまるあしたに、飯はもとより常住にして、奈良茶麺類もしどけなければ、雑煮と趣向を定めたるぞ神代の骨折の所なるべし」という一つ文章だけですが、その行間を読むに我も骨折るものの、米人(こめんど)の無名の狂歌は、てにをはずかしい日本語の米人ながら朝飯前のご馳走で、教科書に神代の話か元日の意味などを小・中学生に取り上げているところには必ず、この狂歌を紹介すべき。一方、下記の名歌は大人向けかと思いませんか。
通りますと岩戸の関のこなたより春へふみ出すけさの日の足
From the far side of ye Cave-door gate: “I’m coming through!”
And so we see our Sun’s bright legs stride into Spring anew.
両手で数える名狂歌とは言え、詠んだ天明狂歌師の知恵内子は江戸の粋を具現した偉い美人だったと云う彼女の評判を知らなければ、今一つの首でしょう。ともかく、鑑賞は、十分できるかどうかが疑問。『古今狂歌集』に彼女の肖像は有ります。それを一度見たら誰でもずっと覚える。目鼻立ち皆無。後ろからなる女の得意なインフォーマルな半正座ながら、真っ直ぐ伸ばす背中を真っ直ぐに下がる髪。真正面から眩し過ぎるからと思えば微笑ましい。「通ります」を心に聞けば、智恵内子とアマテラス大神は一体化になる。歩みながら堂々と声を出すところが子供にも通じる擬人化とは言え、歌の吟味は大人で無ければならない。
断っておくが、名歌の狂訳を日本語の知らない人に見せたら、「日の足」は、日の光線ray/sの事よ、と蛇足も言い付けた方が宜しい。旧暦の元日に日の足の名歌にしたい無名歌をご紹介します。雨の足も、そう言えば風の手も英語にないが、十九歳の其角の名句「日の春をさすがに鶴の歩みかな」よりはるかに面白い、名歌にしたい古狂歌の日の足を旧暦の日の出までお預けします。古の日の出の苦労と現在を比べた古狂歌は、俳句よりも抽象的な文学かと思えば、又も自然観測においても負けなかった事を、その首は証なる。
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