〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド6
福田若之・編
電話にたいしては、こちらはまったくお手あげなのだ。相手は、言いたい放題のことをどなりちらすこともできるし、受話器を置くことだってできる。ということは、せっかくの大切な道を遮断されてしまうことになる。
(フランツ・カフカ『城』、前田敬作訳、新潮社、1971年初版、2005年改版、46頁)
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「あんたは忘れるかもしれない。わたしたちは忘れない」
「だからさ、よくわかんないけど、人違いだって……」と高橋は言う。
「逃げ切れない」
電話がぷつんと切れる。回線が死ぬ。最後のメッセージが無人の波打ち際に置き去りにされる。高橋は手にした携帯電話をそのまま見つめている。男の口にする「わたしたち」というのがどのような人々のことなのか、本来その電話を受けるはずの人間がどこの誰なのか、見当もつかないけれど、男の声は後味の悪い、不条理な呪いのような残響を彼の耳に(耳たぶが変形した方の耳だ)残していく。手の中に、蛇を握ったあとのようなぬめぬめとした感触がある。
(村上春樹『アフターダーク』、講談社、2006年、263-264頁)
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ここで記しておく必要がある、一九七九年八月二十二日の朝、十時頃だった、私がこのページをこのような形で出版するためにタイプしていたとき、電話が鳴った。こちら合衆国です、マルティン(彼女は「マルティヌ」あるいは「マルティニ」と発音する)・ハイデガーさんからの「コレクトコール」(P.c.v.〔paiement contre vérification〕〔相手の真偽を確認したうえでの支払い〕とフランス語訳されたい)をお受けになりますか、とアメリカの電話交換手が私に尋ねる。私自身、コレクトコールをかなり頻繁にかけなければならないので、こうした状況には相当慣れているが、よくあるそうした状況と同じように、誰からなのか聞き分けられるだろうと思って、私は国際電話の反対側の声を聞いていた。誰かが私の話を聞いている、私の反応に注意を凝らしている。マルティンの幽霊ないし精神=亡霊を利用して、彼はどうするつもりなのだろうか? すぐに私に受けるのを拒否させた謎めいた部分のすべてをここで要約することはできない(「これはジョークです、受けません」)、断るときに、私はマルティン・ハイデガーの名を何回も繰り返させた、いたずらの張本人がついに名乗るのではないかと期待しながら。では、要するに、誰が支払うのか、電話を受けたほうか、電話したほうか? 誰が支払わなければならないのか?とても難しい問題だ、だが今朝、私はこう考えた、私が支払うべきではないだろう、こうした感謝の注=領収書を追加する形をとらないのであれば。
(ジャック・デリダ『絵葉書I――ソクラテスからフロイトへ、そしてその彼方』、若森栄樹、大西雅一郎訳、水声社、2007年、35-37頁。原文では「幽霊」に「ゴースト」、「精神=亡霊」に「ガイスト」、「注=領収書」に「ノート」とルビ)
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君に電話するためにまた出かけた、君は驚いていた、そして、あの陽気な笑い、あれほどにも近く、あれほどにも私の声に、私が小さな声で君に言った「そう」に身を任せたあの陽気な笑い、私は、約束したように、それをもって帰った、それこそ私が乞食のように物乞いしていたもの、そして君が最初の言葉よりも先にまず与えてくれるものだ、私はそれと一緒に寝た、それは君だった。
(同前、308頁。原文では「そう」に「ウイ」とルビ)
2018/1/5
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