2018年2月20日火曜日

〔ためしがき〕 電話にあてがわれたメモ・パッド8 福田若之・編

〔ためしがき〕
電話にあてがわれたメモ・パッド8

福田若之・編


今日、普請道楽の人が純日本風の家屋を建てゝ住まはうとすると、電気や瓦斯や水道等の取附け方に苦心を払ひ、何とかしてそれらの施設が日本座敷と調和するやうに工夫を凝らす風があるのは、自分で家を建てた経験のない者でも、待合料理屋旅館等の座敷へ這入つてみれば常に気が付くことであらう。独りよがりの茶人などが科学文明の恩沢を度外視して、辺鄙な田舎にでも草庵を営むなら格別、苟くも相当の家族を擁して都会に住居する以上、いくら日本風にするからと云つて、近代生活に必要な煖房や照明や衛生の設備を斥ける訳には行かない。で、凝り性の人は電話一つ取り附けるにも頭を悩まして、梯子段の裏とか、廊下の隅とか、出来るだけ目障りにならない場所に持つて行く。
(谷崎潤一郎「陰翳礼讃」、『谷崎潤一郎全集』、第17巻、中央公論新社、2015年、183頁)



電話のベルを発明したのは誰だろう? 音楽家でないことはまず確かだ。電話のベルという名称は、その発明者の名前をへたにしゃれただけのものだろうか? あるいは電話はあのようにずうずうしい装置だから、その音も耳障りなものがよいということかもしれないが、ともかくこの問題についてはより一層の考慮が必要である。いずれにしてもわれわれが毎日、十回や二十回、この電話の音で気をそらされなければならないのなら、どうしてそれをもっと気持ちのよい音にしないのだろう?
(R.マリー・シェーファー『世界の調律――サウンドスケープとは何か』、鳥越けい子ほか訳、平凡社、2006年、485頁)




 土産屋にも煙草はあるが、アーミテジやリヴィエラと口をきくのは、ぞっとしない。ロビーを出たら、自動販売機のありかがわかった。幅の狭い窪みの、ずらりと並んだ公衆電話の奥にある。
 ポケットいっぱいのリラ貨を探って、小さな鈍色の合金コインを次々にスロットにほうりこむ。この時代錯誤の手順がなんとなく面白い。いちばん近くの電話が鳴りだした。
 無意識に、それをとりあげる。
「もしもし」
 かすかな調音、どこかの軌道リンクをわたる小さな聞き取れない声、やがて風のような音。
「やあ、ケイス」
 五十リラのコインがケイスの手から落ち、一度弾んでから転がって、ヒルトンのカーペットのどこかに見えなくなった。
「冬寂だよ、ケイス。話しあう時分だろ」
 素子の声だ。
「話したくないのかい、ケイス」
 ケイスは電話を切った。
 煙草が念頭から去って、ロビーに戻る途中、ケイスは一列に並んだ電話の前を歩かなくてはならなかった。各電話機が、ケイスが通るたびに、一度だけ鳴った。
(ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』、黒丸尚訳、早川書房、1986年、163-164頁。原文では「調音」に「ハーモニクス」、「冬寂」に「ウインターミュート」、「素子」に「チップ」とルビ)

2018/1/6

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