〔週末俳句〕
写真
近恵
カメラ付きの携帯電話を持つようになってから、そっちこっちで写真を撮るようになりました。それまで私はカメラを持っていませんでした。必要なときには使い捨てのカメラを買って、でも結局現像に出し忘れたままだったりとかして。デジカメも持っていません。でもSNSに投稿するようになり、スマホに替えたら更に写真を撮る量が増えました。インスタ映えする写真を撮りたいという訳でもなく、まあ自分の記録の為にというところでしょうか。スマホのカメラの性能の素晴らしい事。もうデジカメとか買う必要もなくなりました。まあもっとも、立派な一眼レフのデジカメが以前懸賞で当たり、一台は家にカメラがあるのですが、使い方がよく解らず、しかも重たい。なので結局その一眼レフを持って出かけることはありません。
桜や梅など、いくら撮っても毎年変わり映えする訳ではないのに、なぜか毎年撮ってしまう。散歩の時も旅行の時も、とにかく目に付いて気になったら直ぐに撮る。なんでもかんでも。だから吟行の時も俳句を考えるより、面白いものや気になるものを見つけては写真を撮っている方が多い。俳句は後で席についてから短冊を目の前にすればなんとか出来るもんです。いや、私の場合ですが。記念写真や人物の写真はとても少なく、殆どが景色や物です。また、食べ物の写真も少ない。いつか使えそうだと思う食べ物の時しか運ばれてきた食事を写真には撮りません。食事はまず食べることが先なのです。
写真は俳句を作る時には時々役にたったりします。写真に写っている物で俳句を作るよりも、その時の気分を思い出してそこから俳句になる言葉を探していくので、被写体よりも被写体を見ていた自分の気持ちを思い出したくて写真を撮っているのかもしれません。だから腕も一向に上がりませんが、別にかまわない。写真家を目指しているわけでもないですし。
最近撮った写真で気に入っているのはこの写真。日曜日の作りかけの道路。そしてこの写真を見ているうちになぜか思い出した一句。
梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太
梅を見に行った後に通った場所で出会った景色だったからかもしれません。亡くなったばかりだからかもしれません。人の頭の中は不思議です。写真を見ているうちに、その写真とは全然関係ないことを思い出したりしてしまうのです。
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