黒岩徳将
龍宮もけふの塩路や土用干 芭蕉
「も」によって、目に見えない龍宮を土用干の日に思い描く。読者は、「濡れる」と「乾く」の二つのイメージを行き来することになる。(龍宮は濡れているのだろうか?)「塩路」については、今日の慣用では「潮路」と置き換えて読めばよいと思う。考えてみれば、芭蕉と共通のイメージを持たせてくれる昔話というものはありがたいものである。仮名の配置のバランスもリズムを作り出している。
この句をどこで読みたいか、ということを考えることは楽しい。私たちは何をどうしてもどのみち龍宮には行けないのである。海から龍宮を想像したのが芭蕉なら、我々は畳にべったりとうつ伏せになって句の世界へワープしたい。
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