〔週末俳句〕
明るい廃墟へ
鴇田智哉
明方に覚めて思い立った。
奥多摩のそこへ行かなければ。
以前から気になっていた一角、そこへ。
青梅線のはじまり青梅鉄道は、
明治時代に石灰石の輸送が目的で開通した。
今日の目的地はそれと深く関係のある場所だ。
青梅線の終点、奥多摩駅からバスでさらに奥へ。
日原という集落がある。
鍾乳洞が有名だが、行かず、今日の目的地へ。
今は廃墟となった鉄筋のアパート。
社宅である。
ここは、戦後、石灰石の産出で大きく栄えた地。
二棟、三棟、いや四棟か。
青葉に埋もれていて、よくわからない建物もある。
こんなにもの奥地に鉄筋のアパート。
当時はとても新しくて、カッコよかったそうだ。
たくさんの人々、大人、年寄り、子供たちがここで暮らしていた。
スーパーマーケットや、ダンスホールまであり、賑わったという。
さっきから頭の近くを、熊蜂がついてくる。
よく藤棚にいる、鉄球のように硬質な蜂だ。
刺さないから心配はない。
草に坐っても、ずっと近くに浮いている。
私の影と、熊蜂と。
足元などよく見ると、蟻のほか、天道虫の幼虫、ハナムグリなど、
小さな昆虫が、次々目に入る。見れば見るほど。
一斉に活動し出した感じだ。
熊蜂を連れ、今は廃校となった日原小学校へ。
小学校隣の小さな神社で、ひこばえの公孫樹を発見。
青葉とカラっとした陽気のせいか、
廃墟の中で不思議と明るい気分になったのだった。
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