2018年8月7日火曜日

〔ためしがき〕 うかつ 福田若之

〔ためしがき〕
うかつ

福田若之


ひとりごとを言うひとは、周りの目を気にし忘れて、うかつなことを言ってしまう。

ふたりで話をするひとは、重たげな沈黙をふりはらおうとして、うかつなことを言ってしまう。

三人かそれよりたくさんで話をするひとは、話題が移る前に言いたいことを言おうとして、うかつなことを言ってしまう。

このなかで、僕が自分のものとして許すことのできるうかつさは、ひとりごとのそれだけだ。対話のうかつさや談話のうかつさ――それらはいずれも、会話を音楽的にしようとすることから来るうかつさ、すなわち、すこし大げさに書くなら、生を美しくやりすごそうとすることから来るうかつさだ――は自分にはどうしても避けがたく、しかしながら同時に、自分のものとしてはどうしても許しがたい。

自分を許せないというところから、ひとつの夢が生じる。すなわち、もはや何ひとつ会話をすることなしに、ただともに生きてあること――ミンナニデクノボートヨバレ。しかし、宮澤賢治の言葉を借りてきたのも、ほんの思いつきにすぎない。あるいは、これもまたうかつなのだろう。気がつくと、書かれる句が思ってもいなかった道に出る。うかつにも無責任に、ふわ、風を依り代にした草の種のように。いつもどおり、ここに文はない。

2017/7/26

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