2018年9月18日火曜日

〔ためしがき〕 おっしゃることの意味が、むなしい。 福田若之

〔ためしがき〕
おっしゃることの意味が、むなしい。

福田若之


おっしゃることの意味が、むなしい。という七七がふいに浮かぶ。

わかりません、ではなく、むなしい。おっしゃるというのだから本来尊敬するべきはずの他者の言葉について、その意味があからさまにうつろだと指摘する言葉。これは、何がしかの発言に宛てられたぶしつけな批判なのだろうか。けれど、この言葉は、何か特定の個別的な他者の言葉に対して思い浮かんだわけではない。だから、この言葉は、無意識の底のほうから、なにか一般的なことを言わんとして意識のうえに浮かんできたのだろう。

この句に言われているのは、まずもって、他者に対する敬意やそれにともなう他者の言葉に対する敬意と、他者の言葉を無意味なものと感じることとは、決して背反しないということだ。 おっしゃることの意味が、むなしい。思えば、そんなふうに感じたことは、生きてきて、これまでにさえすでに百や二百ではおさまらないのではないか。そして、そうしたむなしさは、必ずしも不愉快なものではなかったのではないか。

あるいは、むなしいのはむしろ自分の言葉のほうではなかったか。誰かの言葉に、おっしゃることの意味がわかりません、と言いかけて、そのように言うことのむなしさを感じたことはなかったか。そんなとき、おっしゃることの意味がわかりません、という言葉を、(そんなふうに相手に伝えること自体が)むなしい、という感情が中断したことがなかったか。

そして、そもそも、意味などというものは、突きつめれば、そのつど、むなしいものにすぎないのではないか。俗に意味といわれているものが、たとえば、切れた言葉の傷口の疼きでしかないのだとしたら。

おっしゃることの意味が、むなしい。この句はおそらく絶望の言葉だけれど、同時に、おそらく希望の言葉でもありうる。

2018/8/22

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