黒岩徳将
かなしまむや墨子芹焼を見ても猶 芭蕉
墨子は芹が焼かれて料理されるのをみていて悲しむのだろうか、あるいは食欲が湧いてくるのだろうか。
「墨子」の出てくる意味は、墨子が白い練絹(=練り上げたばかりの白い絹糸)が彩色される様を見て悲しんだという故事をさす。練絹は黄にも黒にもどんな色にも染められるが、一旦染まってしまえばずっとその色になってしまうというのが理由だそうだ。(ちなみに、蕪村の句にも「恋さまざま願の糸も白きより」があり、墨子の故事を踏まえている。)
「芹焼」は、肉の匂いを消すために芹の葉などを一緒に加えて醤油で味付けする当時の高級料理。焼かれた芹の色が変わって行くことを練絹とひっかけた。芭蕉この時37歳。
小西甚一は『俳句の世界』(講談社学術文庫)で、延宝八年の「枯枝に鴉のとまりたるや秋の暮」を「蕉風開眼の句として有名な作だが、それほどの名作ではあるまい。」と述べる。談林時代の芭蕉の句を挙げ続けたが、どうやらこの辺りが分岐点のようである。「とまりたるや」は元禄二年の『曠野』で「とまりけり」に修正しており、小西はこの比較をもってして「とまりたるや」を「談林臭」とする。掲句の「かなしまむや」も談林臭と言えるだろうか。
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