小津夜景
鳥の学習
ある日、ニース大学内の公園にゆくと、ナツメヤシの下で、3羽のかささぎの子が歌をうたっていた。
かささぎの子は、ギュルッ、と小刻みに歌う。ときどき、かささぎの母が、キョロロロロキョロッ、とワンフレーズらしい旋律を歌ってやる。しかし子は、あいかわらずギュルッと歌うばかりで、まったく母の真似をしようとしない。自分が教育されていると気づいていないのだ。
かささぎの子は、かささぎの母も遊んでいると思っているのだろうか。それともなにも考えていないのだろうか。かささぎの母は、なんどもくりかえし、かささぎの子に歌いかけているのだが。
と、いきなり、思わず、といった風情でかささぎの子がキョロロロロキョロッ、というフレーズを歌った。そしてそのあとは補助輪のない自転車でどこまでも走り出すかのように、かささぎの母そっくりに鳴きだしたのだった。
人の言葉同様、鳥の言葉が後天的に習得されるのはよく知られる話だ。が、なるほど、親は子にこうやって言葉を刷り込むのかといえるような場面に出くわしたのは初めてである。
うーん、いいものを見た。
もっとも、かささぎの子は音声を学習しただけで、その音声に対応する意味については少しも理解していないだろう。意味については今後さまざまな状況を見聞して、だんだんと理解してゆくのに違いない。
鈴木孝夫『ことばの人間学』(新潮文庫)に「鳥の言語」というエッセイがある。著者は小学生のときから中西悟堂のそばで鳥を観察し、中学生になると日本野鳥の会の研究部に所属したという野鳥ラヴァーズ。のちに言語学者になるのも、鳥の名を正確におぼえたくて中学の時にラテン語をはじめたことがきっかけだった。1958年に発表した言語学者として最初の論文が「鳥類の音声活動——記号学的考察」という型破りなもので、本書の「鳥の言語」はこれと同年に発表された初エッセイにあたる。
一般的に言って鳥の一生の内には音声を学習出来る一定の期間があり、種類によってこの期間が長いものもあれば短いものもある。大抵はごく小さな雛の時がこの時期に当たるので親鳥の鳴声を、言わば無理矢理に覚えさせられてしまうようになっているのである。それでこの時期が少し長い鳥になると、色々な他の鳥の歌や、ほかの音を覚えては自分の囀りの内に取入れるもので、これは古くから日本では「拾い込み」の名で知られていた。このあと著者は、徳川時代の「付け子制度」について語る。これは優秀な鳥の鳴き声を、山野から拾ってきた生まれたての雛にたっぷりと聞かせて立派に鳴く大人に育て、また次の世代に教育・継承させるというシステムで、習慣としては徳川以前からあったものだが、鳥の鳴き声が血統によらずむしろほとんど学習環境によるという事実は鳥のインテリジェンスを証明しているようでなんだか嬉しい。
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