浅沼璞
衆道狂ひ京へのぼせて有りければ 如見(前句)
東寺あたりの腕の生疵(なまきず) 西鬼(付句)
『天満千句』第六(延宝四年・1676)
トーハクの東寺展が話題のようだが、江戸の浮き世では弘法大師を男色の祖とし、東寺をその本拠地とする俗説があった。
(神仏の茶化しは西鶴にかぎったことではなかった。)
掲出の付合もその俗説によるもので、仏道修行のために息子を京へ行かせ、東寺近辺に住まわせたところ、若衆に狂って腕の生傷が絶えないというのである。
知られているように、衆道の誠の誓いとして、刀で傷つけあう腕引(かいなひき)と称する慣わしがあった。
「若衆」は言わずもがな、「かいな引」も『毛吹草』(重頼編、1645年)の俳諧恋之詞にあるから、これで恋の座となる。
親の愚痴から、息子の生傷へとズームするあたり、談林らしい付合だ。
「東寺あたりの」の大雑把なつかみも効いている。
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追記 前句「(親が息子を)上京させて」の意に「(息子が都での衆道に)夢中になって」の意をうっすら掛けているようにも読めるとの由、編集人の若之氏よりコメントをもらいました。納得。
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