樋口由紀子
割り方が私とちがう生卵
米山明日歌(よねやま・あすか)1952~
この句をそのまま読むと何かの割り方が私と生卵とはちがうということになる。私も卵も生身であるという共通項で無理やりに括ることができるが、私と生卵の割り方のちがいをうんぬんするのはやはり奇想である。奇想が川柳にとってダメかと言うと一概にそうとは言えない。
しかし、生卵は主体的に割る方のものではなく、割られる方のものなので、どうしても、生卵の割り方がだれかとちがうということに落ち着いてしまう。けれども、それならば、〈生卵の割り方が私とちがう〉とするのがふつうだが、それではあまりにも散文すぎる。倒置法で「生卵」を下五に持ってきたのだろう。順序を変えるだけでもおやっという違和感が出る。個人個人の考えることのおもしろさを奇想な部分を暗に含ませながら表出している。その手の加え方、手加減さが巧みである。〈巻頭の鬼の話はふせておく〉〈ギリギリの話しする 第二関節〉〈別別の花の名前でしめくくる〉 「川柳ねじまき#5」(2019年刊)収録。
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