相子智恵
押し通す愚策に力雲の峯 小川軽舟
句集『朝晩』(ふらんす堂 2019.7)所載
愚策であっても押し通せる人というのは、確かに力があるのだと思う。そして押し通してしまえば、愚策であってもその策は力をもち、粛々と進行されていってしまう。社会人になってみると、往々にしてこういう場面はある。
この句は愚策を押し通している会議のような場面での、エネルギッシュな「愚策を押し通す力のある人」を見て詠んだものなのか、押し通された愚策が力をもち、粛々と実施されていく「愚策そのものが力を発揮している状態」を詠んだのか。そのどちらも含むのだろう。
〈雲の峯〉は傍から見ると堂々と大きくそびえ立ち、力強いけれど、その実態はふわふわとした小さな水滴で、掴めないものだ。「まあ仕方がない、愚策であっても決まったことなんだし、決まったことには力があるよ」という見えない諦めの空気をまとうことによって、愚策の力は複利のようにもくもくと、大きな入道雲に育っていく。よく考えてみれば、ただ誰かが押し通した愚策にすぎないのに。
〈押し通す愚策に力〉はこの世の真理だな、と思う。あえて「付き過ぎ」のような〈雲の峯〉も深く読ませるところがある。
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