浅沼璞
よだれをながすなみだ幾度(いくたび) 松臼(打越)
肉食(にくじき)に牛も命やをしからん 一朝(前句)
はるかあつちの人の世中(よのなか) 一鉄(付句)
『談林十百韻』上(延宝3年・1675)
前句は打越の嘆きを牛サイドから「薬喰」として取り成したもの。
それを付句は肉食を常とする西洋人サイドへと見込んだ。
(前句の場面を新たな観点から特定するを「見込」という)
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「はるかあつち」などと突っぱなすのが談林らしい。
「の」のリフレインも効いてる。
もう牛も観念するしかないだろう。
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これは前にもふれた事だけれど、この連句集を機に、江戸の無名結社の呼称であった「談林」が、宗因流の汎称として世に知られるようになる。
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ちなみに十百韻(とつぴやくゐん)とは百韻を十巻(とまき)かさねたもので、つまりは千句のこと。
「とつぴやく」も「あつち」も促音がここちよく、談林っぽい。
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