小津夜景
100年前のパリジェンヌ
この世には好きなものを追いかけて、物理的に無理っぽいことも奇蹟的に達成してしまう変人がいる。
このまえ、山間の古道沿いにあるディーニュ・レ・バンという温泉町へ出かけたら、そんな変人の一人であるアレクサンドラ・ダヴィッド=ネール(1868-1969)の旧居があった。
アレクサンドラはチベットのラサ入りに成功した初の外国人女性である。その経歴はいたって魅力的で、ロンドンおよびパリで東洋思想・チベット語・サンスクリット語を学んだのち、生活のためにオペラ座の歌手(なんと音大も卒業しているのだ)となってハノイ、アテネ、チュニスの舞台に立っていたが、仏教への思い絶ちがたく学究生活に戻り、43歳にしてインドへ出発、そこからは玄奘三蔵ばりに諸国を冒険、砂漠や山岳でいくども飢えや死の危険に晒されつつチベットを目指すというのだからとんでもない。しかもこの初回の旅がいきなり14年間にも及ぶのである。当時鎖国中だったチベットの国境をどうやって突破したのかというと、
私はアルジョバ(巡礼)の扮装をしようと決めた。それは、目立たずに旅行する最良の方法だろう。ヨンデンは実際に学識あるラマ僧であって、私の息子の役をうまく果たすにちがいなく、信仰心から長い巡礼旅を企てたという彼の老いた母(私)は、人々の心を打ち、好印象を与えるに違いなかった。
このように考えたことが、こう決心した主な理由だったが、正直なところ、召使や馬や荷物で心を煩わすことなく、毎晩戸外で思いのままに眠るアルジョバの完全な自由に、私は大きくひかれたのだった。
この一〇ヵ月間の旅行の間には、風変わりな巡礼の生活の不自由も苦労も、そして喜びも味わいつくした。それは夢見うるかぎりの甘美な生活であり、また私にとってかつてない最も幸せな日々であった。肩に僅かな貧しい荷物を背負い、山を越え谷を越えて素晴らしい「雪の国」を放浪したのだった。(A.ダヴィッド=ネール『パリジェンヌのラサ旅行1』)東洋文庫)と、乞食巡礼の老婆に扮し、外国人とバレないよう何も持たず、のちに彼女の養子となるラマ僧ヨンデンを連れ、中国雲南地方からラサまでの山々を数ヶ月かけて徒歩で渡りきったのだ。このときアレクサンドラは55歳。過去4度捕まり、5回目での成功だった。
で、そんな情熱家の旧居だもの、さぞかし本気の東洋趣味なのだろうと思ったらこれが違った。楽しく、愛らしく、ブリコラージュ精神があって(単に大雑把とも言う)いかにもパリジェンヌらしい。パリジェンヌといえば、『パリジェンヌのラサ旅行』という書名は売るための邦訳ではなく原題も《Voyage d'une parisienne à Lhassa》というのだけれど、ひょっとしてこの本はいわゆる「パリジェンヌもの」の元祖でもあるのだろうか。刊行は1927年である。もしそうなら、いやそうでなくても、100年前の「パリジェンヌもの」は最高にダイナミックだったんだなあ。
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