2019年11月14日木曜日

●木曜日の談林〔高政〕浅沼璞


浅沼璞








木食やこずゑの秋になりにけり   高政
『洛陽集』(延宝八・1680年)

ひきつづき高政の発句。



木食(もくじき)は米穀を断ち、木の実を主食とする修行僧のこと。
梢の秋は、梢の「すゑ」に秋の末をかけていう陰暦九月のこと。

「木食上人にはうれしい、梢に木の実が熟す季節になった」というような意を含んでいよう。



前回の奇抜な「見立て」と比べるとだいぶ大人しめの感じだが、それもそのはず、談林末期のトレンドな俳体として、芭蕉の〈枯枝に烏とまりたりや秋の暮〉(初出句形)と同格に扱われた句であった(『ほのぼの立』延宝九・1681年)。
このあと宗因没(天和二・1682年)を契機に、高政が鳴りをひそめた件は前回もふれたけれど、西鶴のみならず、芭蕉の存在も高政にとっては脅威であったかもしれない。



ところでこの句に先行して
実はふらり梢の秋になりにけり  信徳(後撰犬筑波集)
という類句があり、「木食や」は信徳の推敲句という説もある(荻野清氏説)。

しかし掲出のように『洛陽集』『ほのぼの立』では高政の作として扱われているし、真蹟短冊も認められているので、ほぼ高政作で間違いないだろう(信徳を真似たかどうかは別問題として)。



ここから連想されるのは、おなじダブル切字の作品、
降る雪や明治は遠くなりにけり  草田男
である。

先行作に〈獺祭忌明治は遠くなりにけり〉(志賀芥子)があり、物議をかもしたエピソードは有名である。



俳諧において類句・類想は当たり前のことであるが、「降る雪や」と似たケースが談林末期にもあったことは記憶しておいていい。

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