相子智恵
冬茜コスト・カッターの終焉 関根道豊
句集『地球の花』(角川書店 2019.8)所載
〈コスト・カッター〉はコスト(費用)を削減する人。バッサバッサとコストをカットしてきた人が、あっという間に暮れてしまう冬夕焼の中で、自らもカットされてしまったのだろう。〈終焉〉を迎えている。これを例えばカルロス・ゴーン氏の末路のように読んでしまえば単なる時事に過ぎないのだが、そう読んでしまっては面白くないだろう。
〈コスト・カッターの終焉〉という言葉は、なかなかに過剰である。そのまま「週刊ダイヤモンド」や「東洋経済」など、経済系の週刊誌のキャッチコピーになりそうだ。〈冬茜〉と〈終焉〉も「終わる」という意味で付き過ぎなのだけれど、この二重三重の過剰さが、何だか「劇画タッチ」で、妙な味わいを醸し出している。
そういえば「コスト削減」という錦の御旗の前では、いつだって私たちは無力だ。バッサバッサとカットされ、やがて全員がカットされる。そう、最後の〈コスト・カッター〉すらも。生きているだけで費用がかかるのだから。「コストの亡霊」が勝ち、そして誰もいなくなった未来。そんな痛烈な現代批評の句と読んでみたい。
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