浅沼璞
おやの親夕は秋のとま屋かな 西鶴
自筆短冊(年未詳)
新出の西鶴発句。
『東京新聞』(2019年11月17日付)、塩村耕氏の連載「江戸を読む」99回(西鶴とヌケ)より引用。
掲出作品は見たことがないなぁ、と新聞をつぶさに読んでみると、塩村氏蔵の短冊らしく、写真まである。
「親の親」は歌語として使われてきた表現で、祖父母または先祖のこと。
新聞でも指摘されているが『永代蔵』や『置土産』に描かれた当世の俗世間である。
新出の西鶴発句。
『東京新聞』(2019年11月17日付)、塩村耕氏の連載「江戸を読む」99回(西鶴とヌケ)より引用。
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連句では一昼夜で二万句をこえた西鶴だが、発句は存外すくなく三百ほど。
連句では一昼夜で二万句をこえた西鶴だが、発句は存外すくなく三百ほど。
掲出作品は見たことがないなぁ、と新聞をつぶさに読んでみると、塩村氏蔵の短冊らしく、写真まである。
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その塩村氏の解説にそって句をたどると――
その塩村氏の解説にそって句をたどると――
「親の親」は歌語として使われてきた表現で、祖父母または先祖のこと。
「夕べは秋の苫屋」は定家の〈見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ〉の本歌取り。
〈見わたせば花も紅葉もなかりけり〉が詠みこまれていないのは談林的なヌケ(抜け)の手法。
これらに従うと全体の句意は、「祖父母の代は裕福だったけれど、いまや財産という財産はなかりけり。秋風の身にしむ、苫葺きの粗末な家に住んでいる」といった感じになる。
新聞でも指摘されているが『永代蔵』や『置土産』に描かれた当世の俗世間である。
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「親の親」は西鶴の好きな歌語だったらしく、連句でも、
「親の親」は西鶴の好きな歌語だったらしく、連句でも、
親の親その親の親おもひやり(仙台大矢数・1679年)
親の親安達が原へ尋ね行く(西鶴大矢数・1681年)
などと詠まれている。
また定家の本歌取り(あしらひ)については、西鶴に限らず、談林では枚挙に遑がない。
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ところで「夕べは秋の苫屋かな」について氏は、「秋の苫屋の夕べかな」を倒置法的に言い換えたもの、と指摘している。
ところで「夕べは秋の苫屋かな」について氏は、「秋の苫屋の夕べかな」を倒置法的に言い換えたもの、と指摘している。
けれどこれは、
見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ 後鳥羽院(新古今)の「夕べは秋」の詠みぶりに近いとみたほうが自然ではないだろうか。「秋は夕暮れ」(枕草子)という固定観念を突っぱね、春の夕霞に美を見出した、その後鳥羽院の詠みぶりに。
となるとこの発句、字面は歌語(雅語)を連ねながら、ヌケのコンテクストによって当世の美を表現しえた稀代の新出句、ということになるのかもしれない。
祖父母の財産はなくなったけれど、夕暮れといえば秋のあばら家こそ趣深いものなのである。
祖父母の財産はなくなったけれど、夕暮れといえば秋のあばら家こそ趣深いものなのである。
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