相子智恵
遠泳の身をしほがれの樹と思ふ 安里琉太
句集『式日』(2020.2 左右社)所載
〈しほがれ〉は潮涸(汐涸)で潮が引くこと。潮干のことだ。〈しほがれの樹〉は汽水域に生えるマングローブのような植物を思った。普通の樹木なら塩害で枯れてしまうけれど、マングローブは潮が満ちれば水中に入り、掲句のように潮が引けば密密と絡み合う根を見せる。川と海のあわい、そして水と陸のあわいに生きる植物である。
〈遠泳の身〉は、今まさに沖遠くに泳いでいる身とも、遠泳を終えて陸に上がってきた身ともとれるけれど、〈しほがれの樹と思ふ〉だから、私は今まさに海から上がってきたところだと読みたい。
遠泳から戻り、海から陸に上がる時に感じる重力。気だるくて眠くて、体が地面に溶け込みそうになるような泳ぎの後の独特の疲れが、潮が引いた砂地に沈むマングローブの根と響きあう。水と陸のあわい、人と樹のあわいが滲みあって、泳ぎの後のじんわりとした気だるさが一句から立ち上ってくる。なんだか不思議に安らかで、ちょっと泣きたくなるような美しさがある句だ。
最後は〈と思ふ〉で作者が現れてくる。〈思ふ〉の一語にある、読者と景の間を一枚の膜で隔てるような、少しの遠さと含羞がこの句では活きているように思う。
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