浅沼璞
鸚鵡も月に馴れて人まね (打越)脇句
役者笠秋の夕べに見つくして (前句)第三
着るものたゝむやどの舟待ち (付句)四句目
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
予告どおり少し取って返し、「三句目のはなれ」の吟味にかかります。
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まず前句が付いたことによって打越の鸚鵡は見世物小屋の出し物に特定されました。逆をいえば、前句の「見つくしさん」は打越の鸚鵡(鸚鵡石=名ぜりふ集)を介して熱心な歌舞伎ファンとなったわけです。
その歌舞伎ファンの熱い眼差しを、伊勢参りの田舎人の、物珍し気な眼差しへと転じたのが付句です。この眼差しの転じは、芝居町から船待ちの宿へとあっさり空間を転じ、時間を少し進め、「着るものたゝむ」という行為によって「三句目のはなれ」を演出しているわけです。
俳諧のいわゆる「見立て替え」は、視点の転じとシンクロしてるわけで……。
前句をいったんニュートラルな状態にし、打越とは別の眼差しからシフトチェンジする。このような不断の詩的営為こそ連句なわけです。
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ところで自らの付句を自ら捌く独吟にあって、この眼差しの転じは、共同制作の連句以上に困難と思われます。なぜなら共同制作の場合、歌舞伎ファンの眼差しを提示する連衆Aと、伊勢参りの田舎人の眼差しを提示する連衆Bとは別人で、宗匠役がそれを客観的に捌けばよい。けれど独吟の場合、ABを自ら演じ、眼差しを転じる必要がある。つまり自らのうちに架空の共同体、架空の座をつくらなければならない。そんなハードルの高さが想定されます。
かてて加えて当時の西鶴は新風の元禄正風体をめざしていたわけで、独吟老人の困難さは計りしれません。
「そやけど、あっさり付いて元禄風になってるやろ。軽い軽い」
それ、前回も聞きました。
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では本稿も軽く終え、五句目の下調べにはいります。
コロナ禍に書き継いでいるこの拙稿を、読者の方々と共に懐かしむ日がくることを心底願いつつ。