2021年12月13日月曜日

●月曜日の一句〔佐藤智子〕相子智恵



相子智恵







お祈りをしたですホットウイスキー  佐藤智子

句集『ぜんぶ残して湖へ』(2021.11 左右社)所載

〈したです〉に驚く。この舌足らずで、子どもじみた書きぶりをしている人が、ホットウイスキーを飲んでいる。……ということは大人なのだ。ホットウイスキーは、ロックや水割りなどと違い、自宅での飲み方である。ホットワインや卵酒と同様に、温まるため、安眠のために飲むお酒だ。このお酒の飲み方と、〈お祈りをしたです〉によって、明日への小さな祈りを胸に、眠る前の孤独な夜をやり過ごそうとしている一人の大人が見えてくる。

「祈り」に対して「お祈り」だから、中身は小さく、取るに足らないことのように思えるし、そう思わせるように描いている。しかし、〈したです〉という(照れから、あえて自分を茶化しているようにすら思える)幼児のような独り言からは、他者から見て小さいと思えるような祈りが、実は、その人にとっては言葉遣いを退行させないと表出できないほどの、真に深いところにある祈りなのだと、逆に思わせる力がある。軽い描き方をしながら、妙な切迫感があるのだ。

ペリエ真水に戻りて偲ぶだれをだれが

新蕎麦や全部全部嘘じゃないよ南無

ここに描かれている句もそうだ。〈ペリエ真水に戻りて偲ぶ〉で、気の抜けた(ある意味、死んでしまった)目の前の炭酸水を偲びながら、〈偲ぶ〉から呼び出される、「誰かが誰かを偲ぶ」というの関係性の密度が描かれ、しかし同時に、「だれをだれが(?)」という含羞に包まれた軽い孤独となって読み終わる。

〈全部全部嘘じゃないよ〉の過剰さに〈南無〉をつけなければ表現できないほどの、思いの伝わらなさ、通じ合えないことの無念が描かれる。

日常の取るに足らないチープな素材から「ただごと」を描いた、“素材としてのただごと俳句”は見かけるが、素材だけでなく、レトリックまでもがチープな、“文体まるごとの、ただごと俳句”というのはあまり見ない。軽い内容を、あえて定型の予定調和を外し、けれども、人が一生懸命話すときと同じ“畳みかけるリズム”で詠むことから生まれる切実な感覚。

俳句の型や季語、すべての武装を解除した先の日常の、取るに足らない本音。私たちが心の奥底にもっている、決して他者には伝わらない“ただごとの祈り”のような本音の、“たたごとならざる切迫感”が、ぎゅっと胸を打つのである。

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