浅沼璞
胞衣桶の首尾は霞に顕れて 西鶴(前句) 奥様国を夢の手まくら 仝(付句)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
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さらに#23では、〈奥方の位(くらい)を考えるとタマクラですが、俳言「胞衣桶」「首尾」を受けるとなるとテマクラでしょうか。迷うところです〉と続けました。
たしかに「奥様」の位(品格)を重んじると歌語タマクラですが、よーく読んでみると「胞衣桶」等の俳言を受けるばかりか、「奥様」という表記自体(字体?)が漢語です。
周知のように俳言とは、歌語ではない俗語・漢語の総称です。よって付句の「奥様」は前句の「胞衣桶」「首尾」におなじく漢語的な俳言にほかなりません。
げんに『新編日本古典文学全集61』(小学館)で加藤定彦氏は、「奥様」が俳言であると註しています。さすれば読みは日常語のテマクラかと振り仮名をみると、どっこいタマクラとなっています。「奥様」の俳言性よりも、その位に比重をおいたのでしょうか。【注】
ちなみに尾形仂氏は『歌仙の世界』で、『卯辰集』「山中三吟」の芭蕉付句「手枕にしとねのほこり打ち払ひ」の振り仮名をテマクラとしています。大内初夫氏(『新日本古典文学大系71』岩波書店)や中村俊定氏(『芭蕉連句集』岩波文庫)も同様のようです。
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尾形氏はこの付句の人物の位を〈趣味生活に悠々自適する数寄人〉と見込んでいます。これを俗界の大尽客と解せば、日常語テマクラが相応しいと言えるのかもしれません。
読みに関してもうひとつ。
日本道に山路つもれば千代の菊 西鶴
これは一年ほど前の本連載#2ウラハイ = 裏「週刊俳句」: ●西鶴ざんまい #2 浅沼璞 で扱った発句。
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日本道に山路つもれば千代の菊 西鶴
これは一年ほど前の本連載#2ウラハイ = 裏「週刊俳句」: ●西鶴ざんまい #2 浅沼璞 で扱った発句。
この上五の読みについて、「にほんじ」(乾裕幸)のほか「にほんみち」(前田金五郎・吉江久彌)など字余りの説もある、と紹介しました。前掲書で加藤氏は「にほんだう」と字余りで読み、俳言と指定しています。「場」の句ですから位は考慮の外でしょう。
さるほどに過日、拙稿をご覧下さった復本一郎氏より、〈「やまとぢ」と読むのでは〉と私信にてご教示頂きました。これは歌語による読みです。
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曰く〈発句から調べを崩すことはしないと存じます〉との由。確かに「やまとぢにやまぢつもれば」なら、字余りが解消されるだけでなく、韻も濃くなりますね。
この場をお借りして御礼申し上げる次第です。深謝。
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【注】雅語的慣用句としてはユメノタマクラの読みが定着していたようです。
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