相子智恵
忘るるなこの五月この肩車 髙柳克弘
忘るるなこの五月この肩車 髙柳克弘
句集『涼しき無』(2022.4 ふらんす堂)所収
一読で心を掴まれた句。上五の〈忘るるな〉の入りと、それに続くリフレインによって、内容の強さだけではなく、時代を超える口承性の強さをもっている。
肩車をされて無邪気にはしゃいでいる子に、この五月の輝きを、この肩車を忘れるなと、心の中で父は言う。口に出してはいないだろう。だって、本当は子どもがこの瞬間を忘れてしまうことくらい、十分に分かっているのだから。
親として子と暮らしていると、そんな瞬間は私にもやってくる。何気ないけれど、きっと忘れないだろうという瞬間はいくつもあって、しかしきっと子どもの方は忘れてしまうのだということも、同時に分かっているのだ。
掲句は、作中主体が自分自身に向かって〈忘るるな〉と心に刻んでいると読むこともできるが、心の中の呼びかけは、やはり子どもに向かっているものだと読みたい。そして肩車も父と子とは限らないが、やはり父と子として読みたいと思う。
詩人にとって五月は特別に美しい季節だ。この瞬間を忘れるであろう子の無邪気さは輝いていて、忘れないであろう父の願いとあきらめが同居した心の中のつぶやきは、〈鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ 林田紀音夫〉の屈折にも似て、五月の美しい空の下で、きりきりと切ない。
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