相子智恵
かるく相づちプール帰りの愛玉子 小川楓子
かるく相づちプール帰りの愛玉子 小川楓子
句集『ことり』(2022.5 港の人)所収
〈愛玉子〉は「オーギョーチ」。台湾北部に自生するイチジク科の植物で、果実からゼリーのようなデザートができる。台湾のスイーツだ。
プール帰り独特のふわふわと疲れた体を、台湾のスイーツを出すカフェで休ませているのだろう。〈相づち〉だから二人あるいは数人で食べている。〈かるく相づち〉のアンニュイな感じ、そして愛玉子のゼリーの透明感が、プール帰りのまったりした浮遊感のある疲れに響いている。
小川楓子氏の第一句集『ことり』は音韻やオノマトペの身体性など、語りたい魅力がたくさんある句集だ。句材としてはこのような食べ物が多く描かれていることも、ひとつのトーンをつくっていると言っていいだろう。
眠たげなこゑに生まれて鱈スープ
朝寒のエッグタルトを割る真剣
にんじんサラダわたし奥様ぢやないぞ
寒いなあコロッケパンのキャベツの力
朝暁のおかへりホールトマトの缶
霜のこゑときどきチーズのこゑもするとか
鯛焼や雨の端から晴れてゆく
〈鱈のスープ〉をすすりながら自分の声に思い至り、香港やマカオのスイーツ〈エッグタルト〉を割ることに真剣になる。〈にんじんサラダ〉はフレンチの「キャロット・ラペ」だろう。「奥様」と呼ばれていることから、デパ地下のお惣菜売り場ではないかと想像される。キャベツがシャキシャキの〈コロッケパン〉に、家に常備している〈ホールトマトの缶〉、〈チーズ〉〈鯛焼〉……カフェやテイクアウト、輸入食品も含めて、食べ物の句の中に日本の今の空気感がある。
そういえば、昨年刊行された小川楓子と同世代の佐藤智子『ぜんぶ残して湖へ』(左右社)にもこのような食べ物の句が多かった。そして世代が近い私も、この「家カフェ」的な気分には共感する。これらの食べ物は、気分は上がるけれど手が出ないほど高級ではなく、日常の範疇を越えない。これらを「日常の中の小さな幸せ」として味わうのは楽しい。
テレビではグルメリポート番組があふれているし(しかも食べ歩きやカフェ、ラーメンなど手の届くものが多い)それは小さな幸せを求める人々を容易にいざなう。しかし、それがひたひたと虚しくもあるのは、ロストジェネレーションの大きな疲弊の穴を、このような「日常の中の小さな幸せ」によって、小さな絆創膏でつなぎ止めながら生きているという思いが、自分の中のどこかにあるからなのかもしれない。
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