相子智恵
街路樹に秋のひかりよ夏ではない 越智友亮
街路樹に秋のひかりよ夏ではない 越智友亮
句集『ふつうの未来』(2022.6 左右社)所収
季節の移り変わりの中でも、「光」に変化を感じるのが晩夏から秋への移り変わりではないだろうか。きっと立秋を過ぎた八月後半の街路樹だろう。〈街路樹に秋のひかりよ〉までは普通の句なのに〈夏ではない〉とダメ押しされることで生まれる可笑しさがある。しかし、それがただの笑いや屁理屈に陥っているわけではなくて、このダメ押しに「切なさ」を感じてしまうのが掲句のグッとくるところだ。
〈夏ではない〉は「夏の光ではない」ということではない。「夏という季節が含む全て、ではない」ということである。夏の弾けるような楽しさの全てが失われてしまったことを街路樹の秋の光に突きつけられているのだ。
街路樹という「平日の街」を感じるところからもそれが分かる。休みや祭りはもう終わり。初秋の光には、「もう、夏ではない」と嘆くしかない切なさがある。
●
0 件のコメント:
コメントを投稿