浅沼璞
宮古の絵馬きのふ見残す 打越(裏六句目)
心持ち医者にも問はず髪剃りて 前句(裏七句目)
高野へあげる銀は先づ待て 付句(裏八句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
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これを「眼差し」の観点からみると――絵馬見たさに無断外出しようとする病人をあばく暴露本作家の「眼差し」から、剃髪して寄進しようとする病人を諫める隠居老人の眼差しへの転換とでもいえばよいでしょうか。浮世草子の町人物の世界です。
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さて今回の若殿(若之氏)からのメールは、前句「髪剃りて」も付句「先づ待て」も同じ「て留」やろ、という前回の西鶴さん(?)の暴言に関するものでした(暴言を吐かせているのは愚生ですが)。
曰く
この短句、末尾「先づ待て」が命令形ですから、付句としてはけっこう強い切れが生じているようにも感じます。いわゆる切れ字十八字にも命令形の語尾にあたるものがいくつか含まれていますが、このころはまだ、「命令形で切れる」という基準が文法的に明確に共有されておらず、実践における切れの判断は仮名そのものによるところが大きかったということでしょうか。たしかに、その見方でいくと、文中の西鶴さんが言っているようにこの句は「て留」ということになりますね。あるいは、発句に切れ字がないといけないという考えは古くからあるとして、付句に切れ字があってはいけないという考えは、もしかすると俳諧史においてわりと新しいものだったりするのでしょうか。
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答えになるかどうか心もとないですが、命令形の付句というと同時代では――
くれ縁に銀土器(かはらけ)をうちくだき
身細き太刀の反ることをみよ
身細き太刀の反ることをみよ
(『去来抄』「修行」1702~4年)
命令形の「よ留」は連歌にも多くて、有名な水無瀬三吟(1488年)だと――
身のうき宿も名残こそあれ 宗長
たらちねの遠からぬ跡になぐさめよ 肖柏
文法書を繙くと、命令形語尾の「よ」はもともと間投助詞だったとのよし。範囲を間投助詞まで広げれば、「よ留」いろいろありそうですよ。
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「なんや、『て留』の話はどないしたんよ」
はい、鶴翁は矢数俳諧の頃、とっくに命令形の「て留」、やってまして。
分別も又は出さうな所也
是一番は負けにして打て
(『西鶴大矢数』「第一」1680~1年)
「命令形だか体重計だかしらんけど、『て留』は『て留』やって」
あーっ、話がもどりますって。
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[註]命令形のほか、や・かな・けり等の付句使用に関しても順次ふれていきます。
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