肩ひねる座頭成りとも月淋し 打越
太夫買ふ身に産れ替らん 前句
恋種や麦も朱雀の野は見よし 付句(通算37句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
【付句】二ノ折、裏。初句(裏移り)。夏の恋。 恋種(こひぐさ)=募る恋心の喩。 や=軽い間投助詞(本稿番外篇9参照)。 麦(夏)。 朱雀(しゆじやか)の野=中世以後、平安京が荒廃し、田野と化した朱雀大路のあたり。ここでは丹波口から嶋原遊郭まで。
【句意】(太夫への)恋心が募り、たんなる麦でも朱雀の野では美しく見える。
【参考】「景気付であるが、そこに色里から来るニュアンスが含められている」(今栄蔵著『初期俳諧から芭蕉時代へ』笠間書院、2002年)
【付け・転じ】打越・前句=遊郭での幇間の心情による付け。前句・付句=幇間の心情を遊客の恋情と取成し、その視点から遊郭周辺の実景へと転じた。
【自註】爰は前句の願ひより、色里の*移りを付よせし。いやしき野原(のばら)の麦までもよき所がらにして、絶えし世の詠め迚(とて)、花も月も物いはず、紅葉ももみうらにおとり、白雪も美君(びくん)のはだへにはまけし。まことはいきた*花崎・かをる・高橋・野風・左門・金太夫・家隆・もろこしまでも隠れなく、太夫職にそなはりし風俗、江戸ははづみ過たり、大坂はひなびたり、兎角(とかく)遊女は都の嶋原にます花なし。―(後略)―
*移り=「付肌の調和を計る意図は注そのものに明らかである」(今栄蔵・同著)
*花崎(はなさき)以下8名は嶋原の太夫。花崎は初裏6句目の自註に既出。
【意訳】ここは前句の願望より、遊里のニュアンスを移し、付け寄せた。ありふれた野原の麦にしても、よい土地柄にあれば、絶世の眺めとなる(というのも)花も月も会話はできず、紅葉も着物の紅絹裏(もみうら)に劣り、白雪とて美人の肌には負ける。ほんとうに生きている花崎・かおる・高橋・野風(のかぜ)・左門(さもん)・金太夫(きんだゆう)・家隆(かりゅう)・もろこしまで世界に隠れなく、太夫クラスの身なりや振るまい(を見ると)、江戸はお転婆すぎるし、大坂はぱっとしない。とかく遊女は都の嶋原にまさるほどの花はない。―(後略)―
【三工程】
(前句)太夫買ふ身に産れ替らん
色里はよき所がら恋楽し 〔見込〕
↓
嶋原にまさる里なし恋楽し 〔趣向〕
↓
恋種や麦も朱雀の野は見よし 〔句作〕
前句の幇間の願いを遊客の恋心と取成し〔見込〕、どの遊郭がいいかと問いながら、嶋原に思いをよせ〔趣向〕、そのニュアンスで朱雀野の景を句に仕立てた〔句作〕。
やはり「移り」は蕉門の固有名詞ではなく、元禄俳諧の普通名詞だったんですね。
「こーゆうもあーゆうもあるかいな。麦かて恋の花になるんは嶋原の〈移り〉いうことやで」
でも三都のうち江戸や大坂は落としすぎではないですか。『一代男』では〈江戸吉原の遊女は意気地・張りがあり、大坂新町は揚屋が豪華〉と利点をあげてましたが。
「それは十年一昔の話やろ、いまや嶋原はワシの俳諧の後ろ盾いうてもええ」
あー、忖度ですか。