2025年5月30日金曜日

●金曜日の川柳〔西田雅子〕樋口由紀子



樋口由紀子





雨ばかり降る窓の位置かえてみる

西田雅子(にしだ・まさこ)

何げない景が意外な展開を見せて、「雨」と「窓」の様相が変わる。「雨ばかり降る」は実際に雨が降っているというよりは作者の心の方に雨が降っているということだったのだろう。そうでなくては「窓の位置かえてみる」と辻褄が合わない。

それにしても「窓の位置かえてみる」とは大胆に打って出たものである。日常の立て直し方の極意かもしれない。できないことをできるような気にさせてしまうから不思議だ。雨から窓に視線を巧みに誘導し、見え方や意識を変える。日常に対しての接し方や対処方法を矜持をもって形象化している。『そらいろの空』(2025年刊 ふらんす堂)所収。

2025年5月26日月曜日

●月曜日の一句〔竹岡佐緒理〕相子智恵



相子智恵






炎暑のフェス推しの登場まで五秒  竹岡佐緒理

句集『帰る場所』(2025.1 ふらんす堂)所収

〈フェス〉〈推し〉など、現代の風景や俗語を大胆に俳句に取り入れた、ライブ感のある一句だ。

夏の、野外の音楽フェスであろう。“推し”(現代の俗語で、人にすすめたいほど気に入っている人や物のこと)のアーティスト(歌手)が登場する前に、観客たちを巻き込み、5秒間のカウントダウンが始まる。「5、4、3、2、1」と会場が一体となって叫び、ボルテージは一気に高まり、その瞬間に推しのアーティストが歌いながら登場するのだ。耳をつんざくような音楽と、舞台の映像演出もきっと華やかであろう。

〈炎暑〉という季語はその厳しさから、〈つよき火を炊きて炎暑の道なほす 桂信子〉といった過酷な労働や、〈下北の首のあたりの炎暑かな 佐藤鬼房〉〈馬を見よ炎暑の馬の影を見よ 柿本多映〉など、どちらかというとやや内省的な暗さをもつイメージで使われることが多いように思う。

掲句は観客の熱気と〈炎暑〉が重なり、明るく健康的なパワーがみなぎっている。ワクワクする炎暑の句というのもめずらしい。

 

2025年5月23日金曜日

●金曜日の川柳〔村山浩吉〕樋口由紀子



樋口由紀子





死ぬ前に冷やし中華はどうですか

村山浩吉(むらやま・こうきち)

急な暑さで「冷やし中華始めました」の旗を飲食店で見かけるようになった。以前テレビで死ぬ前に食べたいものの一位は「卵かけご飯」だった。えっと思ったけれど、すぐにありそうだと納得した。それに比べて、冷やし中華の美味しい季節になったとはいえ、さすがに死ぬ前にというほどのものではない。そのギャップとありえないに価値を見出し、川柳にしている。

どう声をかけたらいいのかわからなかったのだろう。「冷やし中華」のとんでもないズレが咄嗟さと戸惑いの動揺を言い表している。しかも、その場の不安定さを暗転ではなく、明転しようとがんばっている。案外、「冷やし中華」が好物だったのかもしれない。(「川柳まつやま887号」(2024年刊)収録。

2025年5月21日水曜日

西鶴ざんまい #79 浅沼璞


西鶴ざんまい #79
 
浅沼璞
 
 
面影や位牌に残る夜半の月   打越
 廻国に見る芦の屋の里    前句
人恐ぢぬ世々の掟の鶴の声   付句(通算61句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表11句目。 雑(単なる鶴は「雑」の扱い)。 恐ぢぬ=怖じぬ。 掟=生類憐みの令。 鶴=芦→田鶴(類船集)。

【句意】代々の掟によって(守られ)人を恐れない鶴の声(がする)。

【付け・転じ】前句の西明寺時頼の廻国伝説から「世々の掟」を、芦から「鶴」を付け寄せた転じ。

【自註】御代の掟の正しきを諸鳥までもわきまへて、里の道ゆく田夫(でんぶ)には中々おそるゝ気色なく、雀も鳴子(なるこ)をけちらし、烏は案山子の笠にとまりてつらがまへのにくし。ましてや大鳥(おほとり)の鶴などは、心まかせに舞ひあそびて、*ちとせをしれる声々ゆたか也。
*ちとせをしれる=千歳を知れる。諺「鶴は千年、亀は万年」。

【意訳】今の代の掟の正しさを、諸々の鳥どもまでよく分かっていて、田舎道をゆく農夫には容易に恐れる様子なく、雀も鳥威しを蹴散らし、烏は案山子の笠に止まってその面構えも憎たらしい。ましてそれらより大きい鶴などは心のままに舞い遊んで、千歳を生きる声々の絶えることもない。

【三工程】
(前句)廻国に見る芦の屋の里

代々の掟正しき世なりけり  〔見込〕
   ↓
代々の掟を諸鳥わきまへて  〔趣向〕
   ↓
人恐ぢぬ世々の掟の鶴の声  〔句作〕

前句の西明寺時頼の廻国伝説から「掟」を連想し〔見込〕、〈どのような掟か〉と問うて、生類憐みの令を抜けにし〔趣向〕、芦から「鶴」を付け寄せ、一句を仕立てた〔句作〕。


やはり生類憐みの令の浸透がすごかったんですね。
 
「ま、もとから徳川さんの御世はな、庶民の勝手な殺生は禁ぜられとって、狩猟はできんかったのや」
 
雀・烏ときて、最終的に鶴を一句にしたのは「西鶴」って号もからんでますか。
 
「当時、生類憐みの令も度をましてな、じきに将軍家の鶴姫さまの名もご法度となってな、鶴の字使うのさえ禁じられたんや」
 
あぁ鶴字法度(かくじはっと)ですね。鶴翁も一時「西鵬」って改号してましたね。
 
「なんや、知っとるんかい」
 
はい。そのへんの経緯がこの付句や自註の背景にあるんですね。
 
「……」
 
もう徳川の世じゃないですから、認めても大丈夫ですよ。
 
「……」

2025年5月16日金曜日

●金曜日の川柳〔時実新子〕樋口由紀子



樋口由紀子





月の夜を何処から何処へゆく柩

時実新子(ときざね・しんこ)1929~2007

不思議な川柳である。奇妙なくらい明るい月の夜だろう。月明かりのもとにゆらゆら揺れて、何処かに運ばれていく柩。あたりはしんとしていて、風の音も虫の音もしない。ただ、柩が運ばれてゆく。「何処(どこ)から何処(どこ)へ」の意味を含ませながらのリズムが心地よい。

時実新子その人が柩のなかに横たわっているような気がする。何処かに自分が運ばれてゆく。人任せにすることがこんなに気楽なこと、そんな心境になれたことを、第三者的な視点で自分の死を見ている。何歳の時の作かはわからないが、もちろん生存中にすでにそんな心境になっていたのだ。ドラマ性があり、独特の雰囲気を纏わせて、絵になる。刹那のありようがいかにも新子らしい。『時実新子全句集』(1999年刊 大巧社)所収。

2025年5月12日月曜日

●月曜日の一句〔涼野海音〕相子智恵



相子智恵






金魚田の隅の波立つ夜明けかな  涼野海音

句集『虹』(2025.1 ふらんす堂)所収

印象鮮やかな句である。金魚田は、金魚の養殖に使われる池や田だが、現在のそれは、専用の養殖池であろう。

金魚も夜は静かに休息する。まぶたはないが、眠っているのである。掲句からは、隅の方に固まって休んでいたことが想像されてくる。そんな金魚たちは、夏の早い夜明けに起きだし、金魚田は隅の方から静かに波立ってくるのだ。

〈隅の波立つ〉の描写が、金魚の集まる習性をよく捉えていて見事である。そして、金魚の赤色(赤い金魚が想像される)と、夏の夜明けの茜色の対比が想像されてきて、繊細な美しい色の情景が、まぶたの裏に静かに浮かんでくるのである。

 

2025年5月7日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇26 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇26
 
浅沼璞
 
 
これはもう四半世紀ほど前の話ですが、「式目にうるさい連句で、自身の内面を表現することはできるのか」という難問について一筆したためたことがあります。
 
それは後に拙著『中層連句宣言』(2000年)に収録した架空連句の留書で、自身の体験をもとにした内面表出の可能性について言及しました。
 
以降、長らくふれてこなかったこの難題を、当「西鶴ざんまい」で『独吟百韻自註絵巻』を読み解くうちに再び考えることになろうとは……。

 
それはここのところ註解を加えてきた次の付合群を契機としています。

  吉野帋さくら細工に栬させ
   鹿に連泣きすかす抱守
  面影や位牌に残る夜半の月
   廻国に見る芦の屋の里   (三ノ折・表7~10句目)

周知のように、西鶴は若いころに幼馴染の愛妻を、晩年に盲目の愛娘を共に病気で亡くしています。晩年に巻かれた独吟のこの一連には、そんな西鶴の悪戦苦闘が託されているのでは、と思い始めた矢先、たまたま檜谷昭彦氏のかつての解釈(1986年)に出会いました。まったく目から鱗の出会いでした。
 
以下、西鶴自註の番外編として抜粋します。

《…吉野を点出させ、鹿の妻恋う声から抱守りを出し、亡妻の面影を月の座で描き、廻国行脚の旅人を詠む。いま西鶴の自註を無視して連俳それ自体を自由に読むとき、私は西鶴における熊野行が、亡妻および亡女との蜜月の旅におもえてならない。》「西鶴晩年の動向」『西鶴論の周辺』(三弥井書店)

そして辞世の発句へと話は発展します。

《西鶴が熊野へ旅し独吟百韻を詠んだのは事実だし、その後かどうかはこれも不明だが、辞世の句、
  浮世の月見過しにけり末二年
が生前すでに用意されていたのも事実としてよいだろう。(中略)キイワード「見過し」の意味内容は、はたしてなんだったのだろうか。たとえばこの語の伝える読者への発信を、現行の古語辞典が示す意味に限ってよいのかどうか。私はこの「月見過しにけり」の一句に、(中略)晩年の悪戦苦闘と孤独な生活に耐えた作家の、「末二年」間の索漠たる精神構造を見るのであり、結句、俳諧に回帰するほかなかった詩心と、西鶴の、いわゆる〈無念〉のおもいを読もうと考えている》


これまた周知のように、「人生五十年、それすら過分なのに、二年も長生きしてしまった」というような前書がこの辞世には付されていますが、その自虐の裏側を覗きこむような結語を檜谷氏は記しているのです。言うまでもなくこの結語は先の独吟連句の一連を契機としてなされたものです。ここに冒頭に掲げた難題の答えを見るのは愚生だけでしょうか。

2025年5月2日金曜日

●金曜日の川柳〔川合大祐〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



桜田門外の変な日であった  川合大祐

江戸幕府大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」は、安政7年(1860年)3月3日。この日は新暦に直すと3月24日。大雪だったのは知らなかった。現在の東京でも、桜の頃に雪が降るのはめずらしくないが、意外。

この日は、「変な日であった」のかもしれない。

井伊直弼がこのとき満44歳だったことも意外。昔の人の人生と今の人生を比べるのは意味がないほど、昔の人は短命で業績が凝縮している。モーツァルトは35歳で死ぬまでに膨大な曲を残したし、正岡子規も享年35歳とは思えないほど大量の仕事を成し遂げた。で、井伊直弼は40代で政府のトップ。「大老」とは老人のことではないのだと、無知をさらしてしまう。

ついでに意外、というか、またもや私自身の無知無学に起因するたぐいの話だが、襲撃にピストルが用いられ、籠の中の標的に銃弾が命中したともいう。意外。チャンバラ時代劇の殺陣しかアタマになかった。

と、まあ、例によって安直にネット検索で、この歴史的な出来事について調べ、なんやかやと興味を向けている。今日は、私にとって、ずいぶんと「変な日」にちがいない。

掲句は川合大祐川柳句集『スロー・リバー』(2016年8月/あざみエージェント)より。