2025年7月25日金曜日

●金曜日の川柳〔福尾圭司〕樋口由紀子



樋口由紀子





ブランコの台詞が三日月になった

福尾圭司

ブランコに乗りながらの言った台詞が空に舞い上がり、三日月になったのだろうか。あるいはブランコが揺れるときの、あのきーきーなどの音が風に乗って、夜空を駆けていったのだろうか。どちらにせよ、その台詞はもはや地上には戻ってこない。「ブランコ」から「三日月」までの距離が空想性や寓話性を帯びながら広がっていく。おおよそいままで川柳と趣きが異なり、ロマンチックでエレガントに仕上げている。

「三日月になった」に寂寥感が伴うが、三日月に象徴される陰影をアニメ映画の一場面のように設定している。センチメンタルに終わらずにまるで手品のように変化する。三日月のブランコはいつまでも揺れているのだろう。「第13回卑弥呼の里誌上川柳大会発表誌」(2025年刊)収録。

2025年7月23日水曜日

西鶴ざんまい #81 浅沼璞


西鶴ざんまい #81
 
浅沼璞
 
 
人恐ぢぬ世々の掟の鶴の声   打越
 下馬より奥は玉の摺石    前句
初祖達广問へど答へぬ座禅堂  付句(通算63句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表13句目。 月の座だが、9句目に引きあげているのでここは雑(釈教)。 初祖達广(しよそだるま)=中国禅宗の始祖、達磨大師。 座禅堂=達磨大師の金色の座像を安置してある祖師堂。

【句意】達磨大師は問うても答えずに座禅堂に安置されている(もとより座像なのだから答えはしない)。

【付け・転じ】前句の神域を禅寺の境内に見替え、達磨大師の座像をクローズアップした。

【自註】爰(ここ)は前句を山門に付寄せ、*唐作りの禅寺に見なし、森々として殊勝さ、本堂・**食堂(じきだう)につゞきて***達磨堂の立たせ給ふに仕立て侍る。
 
*唐(から)作りの禅寺=黄檗宗の明朝様式による寺院。
**食堂=本堂の東廊に続く。
***達磨堂=祖師堂。

【意訳】ここは前句を寺の楼門に付けなし、さらにそれを明朝風建築の禅寺と見なし、樹木の生い茂った厳かさ、本堂・食堂に続いて祖師堂を立てなさった様に仕立てたのです。

【三工程】
(前句)下馬より奥は玉の摺石
  森々として殊勝なる山門ぞ  〔見込〕
    ↓
  唐作りなる禅寺の達磨堂   〔趣向〕
    ↓
  初祖達广問へど答へぬ座禅堂 〔句作〕

神社の境内を寺のそれに見替え〔見込〕、〈どのような寺か〉と問うて、明朝様式の禅寺(黄檗宗)とし〔趣向〕、祖師堂に安置された達磨大師の座像に焦点をしぼった〔句作〕。
 
 
神祇を釈教へ転じていますが、反対に釈教から神祇への転じも『大矢数』にありましたね。
 
「……そやったか」
 
はい、〈夜がたりの夢が残りて安楽寺/是も思へば天神七代〉というのがーー。
 
「そら安楽寺は天満宮の神宮寺やから、天神さんにはよう付く。転じ、いうより、付け、やろ」
 
なるほど、神仏習合ですね。
 
「なんや神仏集合いうんは。地口かいな」

2025年7月18日金曜日

●金曜日の川柳〔川合大祐〕樋口由紀子



樋口由紀子





宗教家の芋けんぴ破獄などしない

川合大祐(かわい・だいすけ)1974~

時の政府と折り合えなかった多くの宗教家は投獄された。その中には破獄した人もいたかもしれない。芋けんぴなら隙間をぬって脱出できそうなのに、破獄などしないと言い切る。フィクション性を多分に含み、作者ならではの主観の打ち出し方である。

「宗教家」「破獄」と意味性の強い言葉が使われているのに、喜怒哀楽を喚起したり、感情を刺激しない。中ははさまる「芋けんぴ」がシャットアウトしている。そもそも「宗教家の芋けんぴ」とは何だろうか。「の」で素知らぬ顔で結びつけているが、省略が効きすぎて路頭に迷う。職人は目の前にある材料だけでものをつくると言われるが、掲句もそのようである。周知の感覚を上から横から揺さぶってくる。『ザ・ブック・オブ・ザ・リバー』(2025年刊 書肆侃侃房)所収。

2025年7月11日金曜日

●金曜日の川柳〔富永顕二〕樋口由紀子



樋口由紀子





人間じゃないと告白する檸檬

富永顕二(とみなが・けんじ)

檸檬はサワー・サラダ・揚げ物などの添え物でついてくる。皮を残して、果肉をぎゅっと思い切り絞られ、捨てられる。まるで人間のようではないかと。檸檬にそんな告白をされたら、人間の面目丸つぶれである。檸檬に自己投影しているのだろうか。そう読むのが順当だろう。

檸檬が普通に考えて話す視点で書いている。「人間」と「檸檬」は同じ範疇に属している。人間の外部からこの世の現実を書く。立場を変えると世界の見方もくるりと変わり、なにもかもが回りはじめる。言葉を異化しているのでもなく、奇想というほどでもない。そんな世界が実際にあるかのように見せるのも俳諧味だろう。「川柳ねじまき」(11号 2025年)収録。

2025年7月4日金曜日

●金曜日の川柳〔樋口由紀子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



初恋の顔をしている将棋盤  樋口由紀子

四角くて、硬くて、平べったくて、おまけに縦横に直線が入っていて、おおよそ「初恋」の雰囲気とは程遠い、その顔、といっていいのだろうか、その顔を、じっと上から、いくら眺めても、やはり「初恋」には思えない。

といいつつも、初恋のなんたるかを、いつのどれが初恋だったのかを、知らない・わからない。のであれば、遠いも近いもないのであった。

さらには、はさみ将棋しかできない、となれば、理解のおよぶ景色ではない。

でも、それにしても、すごい顔だと思う。将棋盤が? 初恋が? どっちも。

掲句は『トイ』第15号(2025年6月1日)より。

2025年7月2日水曜日

西鶴ざんまい 番外篇27 浅沼璞


西鶴ざんまい 番外篇26
 
浅沼璞
 
 
じつは「横尾忠則――連画の河」展(世田谷美術館・4月26日~6月22日)のレポートを会期中に書くつもりでいたのですが、この猛暑の最中、体調不良にみまわれ、しばらく筆を執れずにいました。
 
けれど西鶴独吟ならぬ横尾独描の鮮烈な印象はなかなか脳裡を去らず、今こうして病み上がりの筆を執らずにはおれない次第です。


さて連歌に見立てた連画という趣向は折にふれて見聞きしてきました。
 
さしあたり手元にパンフのある『連画 十二人の詩と夢の交響楽』(1996年)について言えば、これは東京・大阪・京都・横浜の高島屋ギャラリーで開催されたもので、愚生は地元横浜の会場に足を運びました。タイトルのとおり、十二人の現代画家が歌仙の実作に取りくみ、その歌仙をネタに連画を描くという趣向の企画展でした。
 
その後この流れがどう展開したのか、門外漢の愚生には知る由もないのですが、いまパンフの作品群を見渡してみても各作家の個性が屹立して、水平的な連結が弱く、連画というより集団によるスタティックな連作という感が否めません。


いっぽう今回の横尾さんの独描連画(全64作)は、というと、たんなる連作ではなく、同一趣向の「見込み」を違えて、対付け・抜け・色立・逆付けなどが駆使され、独描の面白さの横溢するものでした。
 
同級生との群像写真をネタとした絵を発句に、その群像が、筏の川下りからメキシカンや歌舞伎の六方へと変容し、機関車・壺・シンゾー・三途の川・大谷・ゴーギャン等へ転じられていくそのスピード感はまさに圧巻。

挙句の自画像は言うまでもなく「仮の終止符」といったところで、ふたたび発句ならぬ発画へと取って返したい衝動にかられました。


ところでこの自己を他者へと転じるかのような横尾独描のスピード感は、あの西鶴独吟の矢数俳諧さながらの効果を生んでいるのは確かで、平野啓一郎さんもそのレポートで次のように指摘しています。

〈速く描くということは、絵画が絵画らしくあるための幾つかの利点を放棄することである。対象を深く存在論的に表象すること、細部の仕上げに拘ること、完成度を追求すること、主題を熟考すること、コンセプトに凝ること、……それらは確かに、美術作品としての説得力を増す。しかし、手放してみれば、芸術の創造的な自由は、遥かに明るく、伸びやかになる。〉(「大きな「絵画的なるもの」のうねり」『Numero TOKYO』7.8月号)

この放棄の思想、手放すメソッドの効用は、まさに自己を他者へと転じる独描・独吟のそれと表裏をなすものと言っていいでしょう。

放棄によって得られた〈創造的な自由は、明るく、伸びやか〉で、それを享受する者の心をも開放して止まないのです。