2011年6月30日木曜日

【裏・真説温泉あんま芸者】「渇水期」をめぐって

【裏・真説温泉あんま芸者】
「渇水期」をめぐって

西原天気


いやあ、暑いですねえ。昨日29日は、6月としては観測史上最高気温を各地で記録したそうです。

暑くなると電気が足りなくなってヤバいってな文言がテレビ新聞で頻繁に躍っているわけですが、昔は、水のことをよく言ってました。ダムの貯水量がどうとか、香川県の溜池の水位がどうとか。

で、「渇水期」の話。

このあいだ某所で「渇水期」という≪季語≫が話題になりました。

渇水期を辞書で引くと、「渇水の時期。また、夏など、供給量が増大し水不足になる時期。」(デジタル大辞泉)。渇水とは「雨が降らないため、川・池沼などの水がかれること。」(同)。

日本各地の降水量を見ると、雪の多い北日本を除けば、夏に多く、冬は少ない。渇水期は冬ということになります。

一方、夏になると水をよく使うので、供給不足になる。だから、夏=渇水期ということも言える。多く降っても、それ以上に使うから渇水する。

つまり、渇水期とは、冬だったり夏だったり、場合によって地域によって異なる。

そこで≪俳句的≫には、どうかというと、例えば、講談社『日本大歳時記』で「渇水期」は冬の季語「水涸る」の傍題として載っている。北日本以外の降水量に従ったかたちです。

ついでに角川書店『合本 俳句歳時記 第三版』をめくると、「渇水期」の立項が(副題としても)ない。季語には含まれないというわけです。

試しに角川書店『季寄せ』、これ、いつもカバンに入れてんですけどね、ここには、なんと、春のところに載っている。春?

ありゃま、という感じです。

で、例句が、

  星とんで星数多なる渇水期  山崎ひさを

え? これって、秋の句じゃないの? とまたもや吃驚。「星飛ぶ」は「流れ星」のことで、秋の季語と解していましたよ(『日本大歳時記』では「流星」の副題。三秋)。

とまあ、渇水期という≪季語≫をめぐっては、このようなカオス状態となってしまったわけです。


渇水期といった限界的な例はあまり多くはないでしょうが、「歳時記に載っているから季語」「載っていないから季語じゃない」といったナイーヴな≪歳時記原理主義≫がどこでも通用するわけではないようです。季節は歳時記に添って移り変わるわけではありません。

だいいち、原理主義というからにはスタンダードなテキスト(「すべての俳句はこの歳時記に準じます」といった規準)あるいは統一原理が必要なわけですが、そんなものは存在しないわけです。

なにも歳時記を軽んじるとか季語が不要だとか現代には現代の季語や歳時記が必要だなんて言ってるのでありません。季節にまつわる語について、この季語はその季節か、さらにはその句が有季かどうか。こうした≪判定≫は、俳句というルールのある遊びには(さほど重要ではなくとも、やはりどうしても)付き物ですが、「歳時記にはどう書いてあるか」などという手軽な方法・手順だけでは判定しきれませんよね、という話。



それと井田さんは、もっとシックな服装のほうが似合うと思うのですが。

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