相子智恵
目に残るとは消ゆること春の雪 西村和子
句集『椅子ひとつ』(2015.1 角川学芸出版)より
たしかに残像とは目に見えていたものが消えて初めて生まれるのだなあ、とあらためて思う。「見ていたものが消えて、目に残った」という時系列の書き方ではなくて、〈目に残るとは消ゆること〉と、消える方に焦点を合わせることで、喪失感が際立つ。
これが降っても融けやすい「春の雪」と結ばれることで、季語の本意にずばりと迫っている。降り続ける(それは融け続け、消え続けることでもある)春の雪を見ながら、消えてゆくからこそ目に残るのだと、消えてゆくということの大きさに気づかせてくれる。春の雪を見ていてこの思いに至ったのであろうが、春の雪が下五に置かれ、思念のほうが先に提示される効果が大きい。それが思念と実景の往還を経て、読者のイメージに深く刻まれるアフォリズムのようになるのだ。
『方丈記』の「ゆく川の流れは絶えずしてしかも、もとの水にあらず」にも通じる、日本人の無常観がこの句にはある。
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