2015年5月2日土曜日

【みみず・ぶっくす 21】 声を夢見る 小津夜景

【みみず・ぶっくす 21】 
声を夢見る

小津夜景






  声の話をしていて、記憶の話になった。

  わたしの記憶力はとても弱い。時おり磁石なみに強
 い記憶力を持つ人に出会うと、こんなに何も覚えてい
 ないわたしで本当によいのでしょうか、と己の頭の不
 具合が恐ろしくなるほど弱い。

  最近気づいたのは、わたしは自分の記憶すべきこと
 を大抵夢に委ねているらしい、ということだ。よくよ
 く自分を観察するに、どうやらわたしは、出来事を現
 実として脳に固着するのが面倒だから、それらをどん
 どん夢のファイルに放り込んでいるのである(なんと
 横着な性格なのだろう)。

  わたしが夢見る事柄の少なからざる部分が、すでに
 経験ずみのことであるのはそういう訳だ。例えば、わ
 たしはよくあなたの声が聞きたいと夢見るのだが、そ
 れは既にそれを知っているからこその奇妙な追憶でも
 ある。

  とはいえわたしの耳に、あなたの声は聞こえていな
 い。わたしはあなたの声をすでに知っているはずなの
 に。何故わたしは声そのものを夢に託さないのか? 
 さあ。わからない。わかるのは、わたしが声を夢見る
 ことができない、ということだけ。声はいつも夢から
 引き剥がされ、掻き消されている。そういう訳で、わ
 たしの中のあなたはいつでも無音の風景である。

陽炎をゆがめ右手を泳がせり
音楽のごとく朧の側に書く
春陰にこゑといふ食ひ物がある
草餅やほのかな夜のスヴニール
逝く春や瞬間移動せり傘と
野漆は思ひ出すとき痺れけり
溢れくる春日やわれは古池か
つばくらめ無限大式航路かな
未だ踏まぬ切手の国や種をまく
晩春のひかり誤配のままに鳥

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