【裏・真説温泉あんま芸者】
句集の読み方 その3・署名
西原天気
著者の署名(サイン)。句集だと、表紙のウラとか見返しに、一句といっしょに書いてあったりします。
「サイン、入れときましたよ」「わあ、うれしい」
「ここにサイン、してもらえますか?」「はい。一句、書きましょうか? それとも、あなたのお名前を?」
「これ、サイン入りなんですよ」「わあ。すごい。いいなあ」
こうしたやりとりが句集上梓の際には、あったりなかったり。「サイン会」なんてものもあります。句集に限らず、サイン会は有効な販売促進、ファンサービスです。
署名(サイン)にまつわるこうしたノリに乗っていければ、俳句世間も住みやすいのですが、正直に言いますね、私、この、句集に書かれた著者の署名(サイン)に、まったく興味がない。というか、好きか嫌いかでいえば、嫌い。
(サインは「ダメ」「するなよ」という話ではないですよ。サインをありがたがらない、うれしくない人間も、なかにはいる、ということをお伝えしたい)
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自分の句集のとき、どうだったかというと(サインする立場ですね)、何人かの方から、書くよう頼まれましたが、丁重にお断りしました(ひとつかふたつ、立場上、断り切れなかったケースはあります)。
自分のヘナチョコな字がはばかられるというのも、その理由ですが、それよりも、もっと根本的に、サインがないほうが、本として、よほど良い、と思うから。
つまり、本というもの、何百部、何千部、何万部、あるいはさらに数多くの「複製」だから、好きなのです。
大量の複製のうちのひとつを、自分が手にしている。それは、なんだか軽やかです。
その軽さがいい。
サインがほどこされると、「一点もの」っぽくなる。サインを欲しがる人、したがる人、好きな人は、「ほかにない」「一点だけの」という点に価値を置くのでしょう、きっと。ところが、「一点もの」は、「軽さ」がすこし薄れる。ちょっと重くなる。
というわけで、いろいろな趣味嗜好があるんだということをわかっていただけましたでしょうか。
画像・上:「署名本 句集」で検索 ※クリックすると写真が画像が大きくなります
画像・下:「サイン本 句集」で検索
検索結果のラインナップ、並べたときの見た目が、ずいぶん違います。
〔追記〕
手で書いた字は、好きです。書くのも、読む/見るのも。
でも、本に書かなくていいよ、ってことです。
ちなみに、ちょっと変わった嗜好・性癖を打ち明ければ、「悪筆」マニアです。「悪筆」ラヴァーです。
じょうずで、味のある字も好きなのですが(残念ながら、その手の字はほんとうに数少ない。滅多に見かけません)、それとは別に、「なんじゃこれは!」と叫んでしまうくらいの悪筆。これが大好き。
中途半端にヘタ、あるいは中途半端に達筆な字に関心がない(数的には、このゾーンが圧倒的多数、というか、ほとんどが、これ)。ちょっとやそっとのヘタではなく、ものすごくヘタな字をマニアックに愛する。
知っている範囲の俳人で、私の「悪筆ラブ」の今のところの一番は、髙柳克弘さんです。しばらく彼の字を見ていないような気がしますが(以前は、何で見たんだろう? 憶えていません)、もう、垂涎ものです。
※次回の「句集の読み方」は、「序文」の話です。
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