関悦史
海鳥の切手を集め生身魂 大木あまり
生身魂と切手収集を取り合わせの句は見た覚えがなく、清新さがある。しかし切手収集の世界も高齢化が進んでいるようで、実際にこうした生身魂もいるのだろう。あまり無駄な元気さのない、大声を出したりはしない男性が思い浮かぶ。マイペースに淡々とそれなりの健康を維持していそうでもある。
切手ならば有用性はあるし換金もできるが、収集癖となれば、関心はいずれ無益さに軸足が移る。生身魂と呼ばれる年になってなおコレクションを処分せず、収集を続ける姿には、そうした虚無に隣り合わせつつ、それを飼いならしてゆく安定とでもいったものが感じられるのだ。
ただし収集の対象となっている切手は「海鳥」である。広大な見果てぬ外部への飛翔という形でここにロマン性がひそむので、虚無や不毛といった要素はうすれる。ひねた辛気臭い老人ではなくなるのだ。際限なく種類が増えていく小さな官製印刷物の意匠を集めつづける老いた身心は、無限とロマン性と明晰な審美的判断力(それは単なる独断や偏愛に過ぎないものかもしれないのだが)を集約しながら、見かけはごく慎ましく平凡に家に居る。
集めた切手に触れる生きた身と、切手の意匠「海鳥」の上を悦びに満たされつつ横滑りし続けていく魂。
見慣れた季語に過ぎない「生身魂」の、「生」「身」「魂」それぞれの文字が洗い直され、リフレッシュされて現物とあらためて結びつきつつ一句に据えられた趣きが、そこから生じてくる。
句集『遊星』(2016.10 ふらんす堂)所収。
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