関悦史
初時雨倉庫の中に椅子を置き 岡田耕治
この句、「倉庫の中に椅子を入れ」ではない。「~置き」である。椅子をしまって去ってしまったわけではない。置いた椅子には自然と腰をおろすことになるだろう。自室や勤務先の椅子ではない、普段はそこでくつろぐことはおそらくないであろう倉庫でのひと時である。
子供のときには家のなかのあちこちに、こうした普段とは違う使い道を発見し、狭いところにも猫のように入り込んでゆくものだ。そこには狭いところに身を隠す安心感と、見慣れたところから不意に引きだされる意外な視野の新鮮さの両方がある。
しかしながら、この句中の人物はおそらくもう子供ではない。季語は「初時雨」である。その年最初の時雨であり、季節は冬に入っている。ここからおのずと、ある程度年齢のいった人物像の落ち着きも浮かんでくる。
倉庫から眺める時雨は、幼時のような心の弾みの影を引きながらも、安息感をもって人を憩わせる。さしあたり、椅子と屋根さえあれば、世界はどこであれ母胎としての貌を見せるのかもしれない。そしてそうした変容の可能性は、何の変哲もない倉庫にもひそんでいるのである。
句集『日脚』(2017.3 邑書林)所収。
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