〔ためしがき〕
あけびの色
福田若之
少年はあけびの色を科学する 橋本七尾子
この句とはじめて出会ったのは、夏石番矢『現代俳句キーワード辞典』(立風書房、1990年)を介してのことで、そのころ、僕はまだたしかに少年だった。その時期にこの句に出会えたことは、僕にとって、間違いなくしあわせなことだった。
うまく語ることができないのだけれど、それ以来、この句は、句を書く僕のいとなみにとって、ひとつの勇気そのものでありつづけている。いわゆる「口語俳句」の可能性も、俳句によるいわゆる「児童文学」の可能性も、この句が僕に教えてくれたものだ。かつてこの句から受けた震えが、僕の句には、表向きには見えないかたちで、けれどはっきりと、震えのままにありつづけている。
いま、勇気と書いた。それは思うに、この一句が、ある意志についての句でもあるからなのだろう。あけびの色を前にして、科学することは少年の意志にほかならない。僕は、この句に、系統としての科学することのはじまりとは別に、個体としての科学することのはじまりを読みとる。熟れたあけびの実の表皮の色について、僕はまだうまく語りうる言葉を持ち合わせていない。けれど、あけびの色は美しい。幼いころ、むらさきのクレヨンと、ふじいろと、あかむらさきと、それらをぐりぐりと重ねて塗った空を思い出す。あの色が大好きだった。あけびの実を知るより前に、僕はあの色を知っていた、そんな気がする。
極私的な、とりとめもない、一句との出会いの話だ。
2018/11/22
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