浅沼璞
胞衣桶の首尾は霞に顕れて 裏三句目(打越)奥様国を夢の手まくら 裏四句目(前句)
夏の夜の月に琴引く鬼の沙汰 裏五句目(付句)
『独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
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打越=恋句
前句=恋句
付句=恋離れ
といった典型的な三句放れ。
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まずは奥様の夢の対象に焦点を合わせると分かりやすいでしょう。
打越/前句では浮気がちな殿様の夢であったものが、前句/付句では琴ひく鬼の夢に転じられています。
二条良基の『連理秘抄』(1349年)では「常に用ゐざる所の鬼風情の物」を「異物」と規定しています。よってここは恋から異物への転じといえます。
他方「眼差し」の観点からみるとどうでしょう。
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他方「眼差し」の観点からみるとどうでしょう。
旦那思いの奥様のソノ夢物語を描く作家の「眼差し」から、ホラー好きな奥様のソノ夢物語を描く作家の「眼差し」へと転じられているってことになります。
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ところで若殿(若之氏)からのメール、今回は月をめぐる次のようなものでした。
〈月と生類は脇ですでに合わせているので、ここは、虎か鬼かなら、やはり鬼のほうが良いのでしょうね。ただ、そもそもどうしてここまで月を引きあげたのでしょう。表で月を引きあげなければならなかったので、全体のバランスで、裏でも月を大きく引きあげたということでしょうか〉
そうですね。秋の発句に応え、七句目の月を脇句まで五句引き上げていますから、ウラ十句目の月も五句引き上げているのかもしれません。
このあとの月の座を見渡すと、二の折では定座を守っていますが、三の折・名残の折では二句乃至四句引きあげています。
「そら独吟やからな、連衆が譲りあうて月の座をこぼすことはないやろ」
言われてみればそうですが、二句や三句ならともかく、四句も五句も引き上げるのはせっかちな気もしますが。
「何いうてんねん。昔から月は定座いうより出所(でどころ)いうてな、同じ面【注】なら何ぼこぼしても引き上げてもえーねん。花はこぼせへんけどな」
なるほど。そういえば百韻の略式である歌仙の話ですが、初裏の月、もとは八句目あたりだったのを各務支考が七句目に定め、やがて一般化したって話、聞いたことがあります。
「それ、我の死んだ後のことやろ」
「そら独吟やからな、連衆が譲りあうて月の座をこぼすことはないやろ」
言われてみればそうですが、二句や三句ならともかく、四句も五句も引き上げるのはせっかちな気もしますが。
「何いうてんねん。昔から月は定座いうより出所(でどころ)いうてな、同じ面【注】なら何ぼこぼしても引き上げてもえーねん。花はこぼせへんけどな」
なるほど。そういえば百韻の略式である歌仙の話ですが、初裏の月、もとは八句目あたりだったのを各務支考が七句目に定め、やがて一般化したって話、聞いたことがあります。
「それ、我の死んだ後のことやろ」
あっ、たしかに。失礼をば致しました。
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【注】オモテ/ウラなどの各面のこと。
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