浅沼璞
夏の夜の月に琴引く鬼の沙汰 前句(裏五句目)
宮古の絵馬きのふ見残す 付句(裏六句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
宮古の絵馬きのふ見残す 付句(裏六句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)
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では付句の語句をみましょう。まずは「宮古」――中公版『定本西鶴全集12』の頭注には、「連俳にては京都の場合に限り『宮古』と記す(俳諧無言抄)」とあります。
絵馬の読みは「ゑむま」です。
句意は「京の都の寺社の絵馬を、きのう見物し残した」というところでしょう。
句意は「京の都の寺社の絵馬を、きのう見物し残した」というところでしょう。
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以下、自註を抜粋します。
「見わたせば、祇園に、平忠盛にとらへられし火ともしの大男おそろし。清水に、福禄寿のあたまに階子(はしご)をかけ月代(さかやき)を剃る所もをかし。……鬼の琴ひくもありぬべし」
意訳すると「京の道化絵馬を見渡せば、祇園では平忠盛に捕えられた火を灯す大男が怖ろしい。清水寺では福禄寿の頭に梯子をかけ、額髪を剃るのもおかしい。……都のどこかに鬼が琴を弾く絵馬もあるに違いない」といった感じです。
「見わたせば、祇園に、平忠盛にとらへられし火ともしの大男おそろし。清水に、福禄寿のあたまに階子(はしご)をかけ月代(さかやき)を剃る所もをかし。……鬼の琴ひくもありぬべし」
意訳すると「京の道化絵馬を見渡せば、祇園では平忠盛に捕えられた火を灯す大男が怖ろしい。清水寺では福禄寿の頭に梯子をかけ、額髪を剃るのもおかしい。……都のどこかに鬼が琴を弾く絵馬もあるに違いない」といった感じです。
要は前句の「琴引く鬼」を、絵馬の道化絵として見立て替えているわけです。
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では最終テキストにいたる過程を想定してみましょう。
まこと宮古の絵馬のごとし 〔第1形態〕
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宮古の絵馬きのふ見残す 〔最終形態〕
〔第1形態〕はたんなる前句の見立てですが、〔最終形態〕は前句の季(夏)を受け、日永でも見尽くせない京の寺社見物を思わせます。
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宮古の絵馬きのふ見残す 〔最終形態〕
〔第1形態〕はたんなる前句の見立てですが、〔最終形態〕は前句の季(夏)を受け、日永でも見尽くせない京の寺社見物を思わせます。
難波では見尽くし、都では見残す、いいですね。
「……そやったか」
あー、もう忘れましたか。けど連句は〈忘却を逆エネルギーとしてすすめられていく〉って名言があります。先師・廣末保先生が『芭蕉と西鶴』(1963年)で述べられています。
「……忘れたいこと仰山あったからな、わては」
……確かに。
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