浅沼璞
前回みたように、談林の岡西惟中は、
切れぬ「哉」=発句にならぬ「哉」=平句の「哉」
という相伝を披歴し、自作短句の「哉」の正当性を述べたてました。
そんな惟中ですが、第三の切字については厳しい目を向け、こう述べています。
〈第三を「哉」どめにし、「ぬ」どめにし、「也」「けり」などゝ留むる放埓あり。是俳諧の乱逆(げき)也〉(『俳諧破邪顕正返答』延宝8・1680年)
確かに第三は平句とは区別され、て・にて・もなし・らん等で留めるのが定法です。切れようが、切れまいが第三に切字は不可ということでしょうか。
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これに対し、反論したのが同門の西鶴です。
天満におゐて鳴鹿之助 貞因(脇)
植木屋の下葉は萩の咲にけり 西鶴(第三)
この秋の付合を引き合いに、こう述べます。
〈是は「けり」どまりの第三のならひ、脇に腰の「て」さし合申候時は、自然にこの留め致しても苦しからず。此の作、宗祇連歌の第三にもあり[註]〉(『俳諧のならひ事』元禄2・1682年)
文中、腰の「て」については、定本西鶴全集(中央公論社)の注にこうあります。
文中、腰の「て」については、定本西鶴全集(中央公論社)の注にこうあります。
〈脇句の七・七の腰に當る「天満におゐて」の「て」を指す。第三て留にすべきところ指合を避けてけりと留めた〉
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ここでは「指合」といっていますが、連歌時代から折合(おりあい)といわれる慣習のことでしょう。
貞徳の『御傘』(慶安4・1651年)にも、「花をみんとて山に入るなり」のような腰に「て」のある短句には「て」留の長句を嫌うとあります。
後年、短句から長句への「折合」は許容されるようになっていったようですが、西鶴の時代はまだ嫌ったと思われます。
しかも西鶴は『御傘』のとおり、第三のみならず平句の付合でもこのパターンの「折合」を意識し、前句の腰に「て」のある際は「けり」留を厭いませんでした。
ここでやっと本題の『西鶴独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)に戻れます。前句の腰に「て」があり、その付句が「けり」留となっている例を順に全てあげてみましょう。
高野へあげる銀は先づ待て 前句(裏八句目)
大晦日其の暁に成にけり 付句(裏九句目)
住替へて不破の関やの瓦葺 前句(二表七句目)
小判拝める時も有けり 付句(二表八句目)
野夫振り揚て鍬を持替へ 前句(三裏二句目)
其道を右が伏見と慟キける 付句(三裏三句目)
このように長句・短句の「けり」がまずあり、(一座一句を意識したのでしょうか)最後は連体形「ける」となっています。
具体的な付合の解釈は本編にて行いますが、次回は、くしくも「大晦日其の暁に成にけり」からとなります。
しかも西鶴は『御傘』のとおり、第三のみならず平句の付合でもこのパターンの「折合」を意識し、前句の腰に「て」のある際は「けり」留を厭いませんでした。
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ここでやっと本題の『西鶴独吟百韻自註絵巻』(元禄五・1692年頃)に戻れます。前句の腰に「て」があり、その付句が「けり」留となっている例を順に全てあげてみましょう。
高野へあげる銀は先づ待て 前句(裏八句目)
大晦日其の暁に成にけり 付句(裏九句目)
住替へて不破の関やの瓦葺 前句(二表七句目)
小判拝める時も有けり 付句(二表八句目)
野夫振り揚て鍬を持替へ 前句(三裏二句目)
其道を右が伏見と慟キける 付句(三裏三句目)
このように長句・短句の「けり」がまずあり、(一座一句を意識したのでしょうか)最後は連体形「ける」となっています。
具体的な付合の解釈は本編にて行いますが、次回は、くしくも「大晦日其の暁に成にけり」からとなります。
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「なんや、えらい上手く運び過ぎやないか」
いや、だからトリにしたんですって(笑)。
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[注]定本全集本の注には〈宗祇連歌の第三〉について出所未考とある。
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