さまざまなジャンルに手を染めた西鶴には『一目玉鉾』(元禄二、1689年)という道中案内記まであります。
今でいえば旅行ガイドブックのようなもので、北は千島列島、南は長崎まで網羅する絵図入りの道中記です。
西鶴の実際の見聞のほか、諸国の俳諧師からの伝聞も多く含まれていると思われますが、巻二に藤沢の遊行寺(時宗本山)の項目があり、こう記されています。
〈此の寺に小栗判官の塚あり、其の奥に横山の塚とてむかしを残しける〉
ここでいう〈横山〉とは小栗を殺害した横山一門(照手姫の親族)のことでしょう。いまも本堂裏手の長生院(小栗堂)には小栗や照手の墓が残されています。
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さて、
番外篇12でもふれたように、この遊行寺本堂では遊行舎による小栗ものの上演(1996年)がありました。
残念ながら遊行舎は昨秋、最終公演(湘南台市民シアター)を終えましたが、小栗よろしく蘇生する劇団もあり、今秋、遊行寺の本堂では横浜ボートシアターによる新版『小栗判官・照手姫』が上演されました。
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今は昔、横浜元町近くの運河に浮かぶ緑の木造船で、仮面劇『小栗判官・照手姫』を観た記憶があります。拙宅の本棚から出てきた当時のチラシを見返すと、1982年11月の横浜ボートシアター第三回公演だったことがわかります。
チラシ裏面には、山口昌男氏の「神話としての小栗判官蘇生譚」というエッセイが引用されており、その後のボートシアターの活躍を予見しています。
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あれから40年余り、当時の代表だった遠藤啄郎氏(脚本・演出・仮面制作)は2020年に亡くなられており、その追悼公演として新版『小栗判官・照手姫』が遊行寺本堂で行われたようです。
残念ながら11/3, 4の本堂での公演は都合がつかず、11/23, 24, 25と行われた東京公演(シアター代官山)の、その最終日になんとか観ることが叶いました。
かつてより少人数(8人)ながら、仮面で何役もこなすカーニバル的な演出・演奏は変わらず、小栗の傲慢な貴種ぶりはもちろん、照手変貌による両面価値、閻魔大王の豪胆なユーモア、餓鬼阿弥の土車の躍動感、等々見ごたえ・聴きごたえは十分。休憩を挟んでの約3時間、天井も大床も、ひらりくらりと舞うポリフォニックな舞台でした。
我等自身の内に、
そして声に身振りに、
死者達の風を、
今ここに。
――「餓鬼達の夏芝居」遠藤啄郎
つぎの公演が待たれるところですが、興味ある向きには、この夏に刊行された岩波文庫版『俊徳丸・小栗判官』(兵藤裕己・編注)をおすすめします。