色うつる初茸つなぐ諸蔓 打越
鴫にかぎらずないが旅宿 前句
肩ひねる座頭なりとも月淋し 付句(通算35句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)
【付句】二ノ折、表13句目。月の定座(秋)。座頭=按摩をする盲目の法師。
【句意】肩をもむ座頭でもと(思いながら)月を淋しく眺めている。
【付け・転じ】打越・前句=里の子から初茸を買い求めた旅人を想定し、旅宿の場面を付けた。前句・付句=つれづれを嘆く旅人の心情(其人の付)で転じた。
【自註】魚鳥はなし、酒はわるし、一夜の旅ねを明しかね、鼻うたもおもしろからず、*早物語りいふ座頭成とも咄し相手にほしや。同じかりねにも本海道の御油(ごゆ)赤坂の*一夜妻の事をおもひ出して、鶏の鳴くまで赤まへだれしたる女の事計(ばかり)夢に見し。
*はやものがたり=芸人の即興による滑稽な軽口咄。
*ひとよづま=遊女。ここでは赤前垂れをかけた茶屋女など。
【意訳】(初茸に合うような)魚や鳥がなく、酒の味もわるい、一晩の旅寝を明しかね、鼻歌も興にのらず、軽口のきく座頭の按摩でも話し相手にほしいもの。おなじ仮寝にしても東海道の御油・赤坂の一夜妻を思い出して、(食えない)一番鳥が鳴くまで、赤前垂れをした茶屋女のことばかり夢に見た。
【三工程】
(前句)鴫にかぎらずないが旅宿
口に合ふ酒すらもなく月淋し 〔見込〕
↓
鼻うたもおもしろからず月淋し 〔趣向〕
↓
肩ひねる座頭なりとも月淋し 〔句作〕
せっかくの月の晩に酒すらまずいと設定し〔見込〕、飲食の他に何か慰みはないかと問いながら、芸能に思いをよせ〔趣向〕、咄し上手な座頭を念頭に句を仕立てた〔句作〕。
東海道の御油・赤坂、そして月とくれば、〈夏の月御油より出でて赤坂や〉って芭蕉翁の句が浮かびますが。
「それはあれやな、御油と赤坂は東海道でもえらい近い宿場やから、短夜の月にかけたんやろ」
そうですね、今の距離にして二キロ足らず、御油を出た月がすぐに赤坂宿に入る、と擬人化した解釈もあるくらいで。
「赤坂はな東海道きっての遊興の宿でな、たわぶれ女も仰山おったから、月も好色の月いうことやないか」
あー、鶴翁が読むとそうなりますか。
「いや、ワシやのうてもそう読めるで、まして蕉翁は東海道をよう知っとったはずや」
なるほど。で、鶴翁ならどう作句しますか。
「ワシか、ワシならもっと浅ましう〈夏の月御油より出でて候や〉とでも詠もうかの」
あ、月の擬人化で、候は早漏ってことですね。